狭山差別裁判 無実の証拠を全部だせ! その4

(2008年10月17日)

  すべての目撃関連証拠を開示せよ

被害者の中田善枝さんは、石川一雄さんと出会っていません。善枝さんは、5月1日の16時ごろ、石川さんと出会ったとされるX字型十字路ではなく、沢の道の関口自転車店付近で後輩の奥富孝志さんに目撃されています。今回は、警察による出会い地点のデッチあげと善枝さんの下校後の足どりについて、みていきます。 後輩が善枝さんを目撃していた
善枝さんを目撃した奥富孝志さんは、当時、堀兼中学校3年で野球部員でした。この日は、狭山市内の中学校で学徒総合体育大会がひらかれており、奥富さんも野球の試合を見学しました。その試合会場へむかう途中に善枝さんを見たのです。

奥富さんは、つぎのような旨の証言をしています。〈5月1日の2時40分ころ、入間川東中学校での試合へ向かう途中、沢の道の関口自転車店付近で自転車にのった被害者とすれちがった。東中に到着したときには試合は3回の表か裏をむかえていた。そのうち雨が強く降ってきて試合は中止になった〉

奥富さんは、善枝さんの1年後輩で、事件1ヶ月前の3月に善枝さんが卒業するまでの2年間、同じ中学に在学しています。善枝さんは、中学時代にソフトボール部のキャプテンでピッチャーでした。また副生徒会長もしており、朝礼の時には全校生徒の前にたって号令をかけるなど、その姿を奥富さんはしょっちゅう見ていました。だから、5月3日の朝に事件のことを級友から聞いた時、奥富さんは、「沢で善枝ちゃんに逢ったよ」と語っていたのです。そして、5日には自分からすすんで警察にいって、上記の目撃証言を届け出ています。

降雨記録が証明する目撃時刻
ところが警察は、奥富さんが善枝さんを見たとする時刻は、東中学校での野球の試合の時間経過から逆算すると14時30〜40分となる、しかし善枝さんはその時刻に授業をうけていたのだから会うことはできない、と断定して、奥富証言は「記憶違い」と発表(5月8日付、各紙)し、裁判所へは証言を提出しませんでした。

しかし、奥富さんは、『女性自身』(63年6月24日発行)のインタビューに「たしかに善枝さんとすれちがった。別に言葉はかわさなかったが、同窓の1年先輩だった彼女を見誤るはずがありますか」と答えています。

さらに、「別の日というけれど、彼女はもちろん、自分もふだんは通ったことのない沢の道で、5月1日いがいに出あったなんて絶対に考えられない」という旨の発言もしており、「記憶違い」ではないと強く否定しています。さらに奥富さんにはウソをいう理由もありません。だから、事件当日、下校後の善枝さんと出あったという奥富証言は、信頼できる重要目撃証言なのです。問題は、その時刻です。

そこで、航空自衛隊入間基地が記録した、事件当日の雨の状況を見ながら、時刻を考えていきましょう。なぜなら奥富さんは、東中に着いてしばらくすると「そのうち雨が強く降ってきた」と証言しているからです。降雨記録によると、この日は16時20分から本降りになっています。だから奥富さんが東中学校についたのは、その少し前の16時10分ごろと思われます。これから逆算すると、奥富さんが関口自転車店付近をとおったのは、東中学校から関口自転車店までの所要時間の約10分をひいて16時ごろになります。

以上をまとめると、16時ごろに奥富孝志さんは、沢の道の関口自転車店付近で善枝さんを目撃した、ということです。

野球の試合にかんする証拠を開示しろ
この出会い地点のデッチあげは、5月1日に狭山市立東中学校で開催された学徒総合体育大会狭山市予選野球試合にかんする事実関係があきらかにされれば、よりハッキリします。

しかし、東中学校での野球の試合について、5月8日付の毎日新聞は「7回の野球が2時55分に終わっている」と報道していますが、6月1日付の東京新聞は「試合は午後3時40分に終わった」としています。このように、現在では試合の開始時刻も終了時刻も確定できていません。警察が野球の試合関係の証拠をすべてかくしているから、確定できないのです。

なぜ、警察はかくしているのか。それは、「15時50分ごろに、善枝さんはX型十字路で石川さんとであった」とするデッチあげのストーリーがくずれるからです。石川一雄さんの無実が証明されるからです。私たちは、警察が隠しもつ、以下の証拠を開示するように強く求めます。

㈰ 63年5月1日狭山市立東中学校で開催された学徒総合体育大会狭山市予選野球試合への参加中学校名、試合数、各試合開始時間、終了時間、試合経過などに関する捜査書類および試合のスコアブック。

㈪ 野球試合を見学した狭山市立堀兼中学校野球部員らの東中学校からの帰宅コースなどに関して堀兼中学校長宅において、荒幡精一、平沼洋一、平野秀夫ら4、5名の野球部員の供述を録取した調書その他これに関連する捜査書類。

㈫ 63年5月10日狭山署員2名が狭山市立西中学校長宅において同校野球部員飯島功一らから野球試合を見学した奥富孝志ら堀兼中学校野球部員らについて聞き込み捜査をした関係捜査書類。

警察は、善枝さんの足どりを調べていた
警察は、5月5日に奥富孝志さんから報告をうけて、1日の善枝さんの足取りを調査しています。それは、つぎの新聞記事からも明らかです。

「…中田善枝さんの足どりについて、いままで調べていた通学コースではなく、まったく新しいコースに約20人の捜査員を出して、目撃者捜しをはじめた」(63年5月6日付朝日新聞夕刊)。

「…捜査本部では当初善枝さんの通学路がつかめず苦慮していたが、奥富君の証言によりはっきりしたわけで、川越高入間川分校から『沢の道』ぞいに捜査員を集中、犯人の目撃者発見につとめている」(63年5月6日付東京新聞夕刊)。

しかし、警察は、これらの捜査で集めた証拠を隠しています。警察のデッチあげがばれるからです。私たちは、つぎの証拠を開示するよう求めます。

㈰ 「出合地点」—「連行経路」—「犯行現場」付近一帯の畑の所有者、居住者、通行人に関する捜査報告書、供述調書、実況見分調書等。

㈪ 63年5月9日の植木職人の奥富栄さんへの3回目の聞き込みの調書。

これら目撃にかんするすべての証拠を開示させるため、10・26狭山中央闘争に総決起しましょう!

(『狭山闘争ニュース』150号 10月10日)
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