門野裁判長は狭山再審を行え!

(2008年08月11日)

  <布川事件>高裁でも再審決定!
逆流はね返す勝利

7月14日、東京高裁(門野裁判長)は、布川事件第二次再審の抗告審において、検察による抗告を棄却して、水戸地裁の再審決定につづいて再審開始の決定を行った。被告とされ、無期懲役を科せられた桜井さんと杉山さんの不屈のたたかい、弁護団と支援者のねばり強いたたかいが切り開いた勝利である。
これにたいして検察は7月22日に最高裁にたいして特別抗告を行った。だが、重大な憲法違反がないかぎり最高裁において原決定が覆されることはなく、検察の特別抗告は、悪あがきにすぎない。
この布川事件第二次再審を担当した高裁の門野裁判長は、名古屋高裁時代に、『名張毒ぶどう酒事件』の第 次再審において検察による抗告を支持し、再審を決定した名古屋地裁決定をくつがえした張本人である。この、門野裁判長をして、なおひっくり返すことが不可能なまでの両被告の無実と、国家権力によるデッチあげの事実が完全に暴かれたのだ。
布川事件第二次再審の勝利は、陪審員制度導入などの司法の反動化と、『名張毒ぶどう酒事件』の再審棄却などの権力犯罪の護持という反動的逆流をはねかえす決定的な勝利である。わたしたちは、この両被告を先頭とした不屈のたたかいに学び、この勝利をひきつで狭山第三次再審闘争の勝利をなんとしてもこじ開けなければならない。 90点にのぼる証拠を開示させた執念のたたかい
布川事件第二次再審の勝利を切り開いたのは、両被告と弁護団によるデッチあげを暴く新証拠の発掘のためのねばり強いたたかいである。
高裁の決定は、㈰<事件がおきた時間帯に、被害者の自宅近くで両被告とは容姿や着衣が異なる2人の男を見たとする近隣女性の捜査段階の供述調書>にもとづき、確定判決での目撃証言の信用性には「重大な疑問がある」と判断。㈪<殺害方法に関する医師の新鑑定書>が「布などで首を絞められた絞殺の可能性が高い」としていることから、確定判決における「両手でのどを強くおした」という「自白」は、「客観的事実に反している可能性が高い」と判断。㈫さらに、殺害状況や被害者宅の室内の破損状況が両被告の「自白」と整合しないことを指摘し、「『自白』には不自然な変遷が認められ、重要部分に客観的事実に反する供述がある」「実際に体験したことではないため」として、「自白」の信用性を否定した。㈬そして、「これらの新証拠が原審で提出されていたなら、有罪の認定に合理的な疑いが生じていたと判断される」として、再審を決定したのである。
この㈰は、検察が隠し持っていた証拠を被告と弁護団が見つけ出し、ねばり強いたたかいによって検察に開示させたものである。第二次再審過程で、検察から開示させた証拠は、じつに90点にものぼると言われている。隠された証拠の開示、殺害方法に関する医師の新鑑定、いずれも、「自白」の強要をテコとしたデッチあげという権力犯罪をあばき、被告の無実を明らかにしようとする両被告と弁護団の執念のたたかいによってかちとられたものだ。

狭山第三次再審の勝利をかちとろう
布川事件は、狭山事件ときわめてよくにている。有力な証拠が「自白」と目撃証言のみで、客観的な物証がないこと。また、事件現場から被告の指紋がまったく検出されていないことなど。また、殺害方法に関して、「自白」では「手でのどをおさえて殺した(扼殺)」とされているが、客観的事実は「布などで首を絞められた(絞殺)可能性が高い」ことも共通する。また、検察によってぼう大な証拠が隠されていることも共通する特徴点である。
布川事件の第二次再審闘争の勝利は、狭山再審闘争における勝利が可能であることを示している。たしかに、狭山事件の場合、部落差別による犯人デッチあげという国家権力の差別犯罪の護持・隠蔽という国家意志を打ち砕くという困難な壁が横たわっている。また、布川事件と同じような殺害方法に関する新証拠を提出しながら、事実調べが行われず闇から闇に葬られるというでたらめな事態が狭山再審においては行われている。しかし、どのような権力の暴力も真実を葬ることは絶対にできない。隠された証拠を引きずり出し、いかなる権力の暴力をもってしても否定できない、石川一雄さんの無実と、権力によるデッチあげの事実を完全にあばきだそう。


布川事件とは
1967年8月30日、茨城県利根町布川で、一人暮らしの大工、玉村さんが殺害され、現金が奪われた。警察は、桜井さんと杉山さんを「競輪の金ほしさに殺害し、現金10万7千円を奪った」としてデッチあげ強盗殺人罪で起訴。二人は取り調べのなかでは「自白」を強要されたが、公判ではいっかんして無実を主張。1970年に水戸地裁(土浦支部)が無期懲役判決を言い渡し、78年に最高裁で確定、そのご再審請求を行っていた。(両被告は96年に仮釈放)
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