狭山差別裁判  無実の証拠をぜんぶだせ! その1

(2008年08月10日)

 

すべての筆跡関連証拠を開示させ
権力犯罪をあばこう

わたしたちが開示を求める未開示証拠について、今回は、「筆跡と血液型」についてみます。
とくに筆跡は、確定判決で寺尾裁判長が石川さん有罪の決め手とした証拠の中心です。これがくずれれば、有罪判決がなりたたなくなります。再審を左右する大事なだいじな新証拠、「筆跡」を開示させましょう。

部落から集めた筆跡の分厚いメモ
警察は、部落から犯人をデッチあげるために、狭山市内にある二つの部落に住む青年120人のリストをつくりました。それにもとづいて連日、20人いじょうの捜査員が、部落にたいする集中的な見込み捜査をおこないました。
このときにあつめた100人以上の筆跡をとじた「分厚いメモ(10センチぐらい)」が警察にはあります。
第2審62回公判(1972年6月17日)で、当時部落解放同盟埼玉県連委員長であった野本武一さんが石川さんの逮捕直後に抗議のため特捜本部をたずねたときに、中刑事部長から、この分厚いメモをしめされた、と証言しています。
この「分厚いメモ」こそ、警察がおこなった部落差別の動かぬ証拠です。
部落いがいでも警察は、重要容疑者とみこまれていたが自殺した奥富玄二の筆跡をはじめ、すべての筆跡をかくしています。

石川さんは脅迫状を書いていない!
筆跡1 このなかには、筆跡鑑定がおこなわれたものも多数あります。この筆跡鑑定も開示されていません。これらをすべて開示すれば、脅迫状と同じ筆跡がでてくることを警察は知っています。だから開示できないのです。全国連の力で、なんとしても開示させましょう。
筆跡2 犯人ではない石川さんは、脅迫状など書いていません。これが真実です。脅迫状と石川さんが書いた上申書(左写真参照)とをくらべれば、だれでも一目でちがうとわかります。
こんなにちがう筆跡を同じ筆跡だと鑑定するために、警察は、鑑定資料にあるすべての文字を鑑定するのではなく、つごうのよい文字だけをひろいあげて鑑定しました。
しかも、石川さんから集めた何十枚もある筆跡をぜんぶ鑑定するのではなく、つごうのよい何枚かだけを資料としてよりごのみしています。
たとえば、石川さんはトウハト製菓につとめていた3年8ヶ月間に「早退届」を100通いじょうだしています。しかし警察が鑑定につかったのは6通だけです。
ほかにも通勤証明交付願4通、借用書2通、自衛隊入間基地の入門票など、警察があつめた石川さんの筆跡はたくさんありますが、警察は鑑定資料につかっていません。それどころか、開示さえ、されていないものがたくさんあるのです。
さらに警察は、石川さんの筆跡を脅迫状に似させるために、脅迫状を手本にして石川さんに文字を書く練習までさせています。この練習用紙の山は、石川さんの筆跡を偽造しようとした警察の動かぬ証拠です。
こんなデタラメな筆跡鑑定は絶対に認められません。正しい筆跡鑑定をやりなおすために、警察があつめたすべての筆跡にかかわる証拠を開示させましょう。

血液型Bは石川さんだけ、はウソ!
警察は、血液鑑定でB型だったのは石川一雄さんだけ、とする証拠をデッチあげています。警察は、どのようにしてこの証拠をデッチあげたのか。
まず、石田養豚場関係者28人の血液検査をおこなっています。これ自体が、部落への集中的な見込み捜査そのものであり、絶対に許されません。しかし、問題はそれにとどまりません。
血液鑑定の報告書は8月29日づけで、石川さんをふくむ21人分の鑑定結果がのっています。警察は石川さんを再逮捕した6月17日に、「血液型Bは石川さんだけ」と発表しています。
しかし、そのときには、まだ血液鑑定の結果がわかっていなかったのです。それから2ヶ月以上もたって、やっと報告書が完成しているのです。しかも、この報告書には7人分の鑑定結果がぬけおちています。警察がかくしているのです。
さらに、報告された21人のうちの1人である石川二男さんは、報告書ではA型となっていますが、法廷ではB型と証言しています。
こんなデタラメな血液鑑定は、まったく信用できません。この報告書は、「血液検査」が、科学的な捜査によって真実を明らかにするための鑑定ではなく、はじめから部落民を犯人にデッチあげるための手段だったことを証明しています。
「科学捜査」の名をかりて、部落民である石川さんを犯人にデッチあげるためにおこなわれた、警察の血液鑑定に証拠価値などありません。これを検証し、鑑定しなおすために、警察がかくしているすべての血液鑑定結果を開示させましょう。
(『狭山闘争ニュース』147号 2008年7月10日)
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