資料・公開質問状1 私への執行委員ならびに青年部長の解任をみとめません

(2008年06月26日)

  公開質問状1 -支部執行部・役員のみなさんへ-
         私への執行委員ならびに青年部長の解任をみとめません
                                     
      部落解放同盟全国連合会西郡支部  青年部長・執行委員  吉岡 剛志

 私は支部結成準備段階から、西郡で全国連の支部をつくる事にかかわり、闘争に際しても、仕事とか、体調がどうしてもという時以外は何とかやりくりして支部の先頭に立つ一人として、一生懸命がんばってきたつもりです。
 しかし、4月5日青年部定例会で、部落解放同盟全国連合会西郡支部(以下 支部)から、全国連本部主催の2・24広島差別事件真相報告集会に参加したことを理由に、突然、抜き打ち的に、青年部長を解任させられ、追って4月9日の執行委員会において、青年部の決議を後押しするという形で、無理矢理、規約にも書かれていないにも関らず、執行委員からの解任もされました。
 私は、4/9執行委員会において「私を処分するならば、その理由を明らかにした文書をだしてほしい」とお願いしてまいりましたが、一月程経っても何の回答も無いままでした。5月2日に副支部長に対しもう一度、「5月8日までに回答下さい」という旨の申し入れをさせて頂きましたが無視され、その後「理由書は出さない」と口頭での回答をされました。
 そこで、こうした支部の私への対応と、この解任処分が正しいのか、皆さんに判断して頂きたいと思い、公開質問状をださせて頂くことにいたしました。
                                      
4月5日青年部定例会と4月9日の執行委員会の大まかな内容
●4月5日青年部定例会 この日は、ある青年から受けていた相談もあり、その事案をさせてほしいということと、私の作った議題書の了承をもらうため、同じ青年部の岡邨副支部長と事前に打ち合わせをし、青年からの相談については会議の前に提起し、定例会は私の作った議題書でやることが決められました。
 ところが、定例会で、私が、青年からの相談のお願いの文書と議題書をまこうとすると「それは後でしろ!」と、突如事前の約束を破り、事前に確認していた私の作った議題書は「撒くのはダメ!」と完全に無視されました。そして先程の打ち合わせの時点では、そんなものがあるのさえも知らされていなかった別の議題書が、副支部長から出されて定例会がはじめられました。
 会議の最初のところでは、2月24日の西郡集会の感想などがだされ、それが話し合われているうち、「2月24日に(吉岡が)西郡集会に参加せずに本部主催の集会に行ったことは支部に対する分裂行為だ」という副支部長の言葉を皮切りに「青年部長として責任をとるべき」「青年部長をやめるべき」という意見が、何人かから、次々と言われました。
 「青年部長の解任」ということは、議題には一言もかかれてはませんでしたし、突然のことで、おどろき、頭が真っ白になりましたが、私は、どうして西郡集会に行けなかったのかということ、自分が本部主催の広島差別事件真相報告集会に参加したのはまちがっていなかったことを一生懸命話しました。だけど、副支部長をはじめとする人たちには、私の話をまともに取り合おうという姿勢はまったく感じられませんでした。そのうち「もうそろそろ帰らなあかんねんけど」という人が出てきた中でも、副支部長は私をやめさせる多数決を取るまでは、引きとめるということを必死でしていました。そうして、私の反論も中途半端なまま、不意打ち的に、強行で多数決を取られ、5対3で無理矢理に青年部長の解任の決議を取るということをされました。
 2月24日については、この日は広島差別事件の真相報告集会があり、全国連は総力をあげてたたかうというこが、1月12~13日の拡大中央委員会できめられており、当然私は支部としても全力で取り組むべきと考えていました。
 ところが、支部はあえて広島差別事件真相報告集会と同じ日、同じ時刻に西郡の集会をぶつけてきました。詳しくは、別紙の「事実経過のまとめ」を読んでいただくとして、私は、本当にこの日ほど、体がふたつあればと思ったことはありません。
 支部が、全国連本部の広島差別事件の真相報告集会に西郡集会をぶつけなければ、このような事も起こらなかったはずです。私が2月24日の西郡集会に行けなかった、その責任は私だけにあるのでしょうか。それは、部長解任という処分までされなければならないことといえるのでしょうか? 
●4月9日執行委員会 この日の執行委員会は支部長と書記長が不在の中、第17回全国連大会不参加の理由を決める目的でもたれました。
 ところが、そこでは、大会不参加の理由書とは別に、4月5日の青年部長の解任を後押しするかたちで私の執行委員解任も、すでに決めてしまっているような内容の文書が配布されていました。しかも、その文書の中には、明らかに2月24日に私が取った行動とは違う「(本部が私を)真相報告集会に登壇させ」ということまで書かれていました。
 ここでも私は、先日の青年部定例会で言われたのと同じことを、支部の役員さんから次々と言われました。私は、書かれてあることと事実がちがうのに、その確認もしないまま私の処分を取り決める様な文書をだすのはおかしいと思う、私は支部大会で選ばれた役員ですのでこの場での解任処分は不当であることを訴えました。しかし、青年部定例会と同じように強行採決され、無理矢理、執行委員解任の処分をされました。
 私は、2月24日に本部主催の広島差別真相報告集会に参加したことはまちがっていないと思います。 
 差別を受けたとき、それを告発するだけでも本当に勇気と決断のいることです。私は、広島差別事件については、実際に差別をうけた青年Aさんより、「全国連の住宅闘争は物取り主義だ」と、仲間であった学生から言われたことを聞きました。そして、この学生の言葉は、Aさんに対してだけではなく、西郡や全国で必死にたたかっている住宅闘争すべてに対して投げかけられたもの、だから許せないし、仲間のみんなに西郡の住宅闘争を訴えなければと思い、2月24日は真相報告集会に参加したのです。
 支部員の皆さんにお聞きしたいのですが、もし、「西郡の住宅闘争は物取り主義だ」と言われたらどう思うでしょうか? もし、身近な人、友人や仲間から「差別をうけた。私の話を聞いて!」と言われたら、どうしますか? 聞かなかったこと、知らなかったことにできるんでしょうか? 
 ◎ 支部の役員のみなさんにお聞きします。関西の各支部では、2月24日のほかにも、広島差別事件の青年Aさんとの交流会などを開き、Aさんの訴えを聞く機会をもっています。支部はどうして差別を受けた本人の話を聞く場をつくろうとはしないのですか?  

 広島差別事件を闘う事と住宅闘争は一対のもの 
 「全国連の住宅闘争は物取り主義」と広島の青年に仲間であった学生が言った事は、西郡や全国で住宅闘争を闘っている人すべてに対して投げられた言葉であるのも同じです。何故そう思うのか? それは、私が全国連をつくろうと当初から関わってきた思いとも通じるところがあります。
 これまでの解放運動は、「差別を許さない」ということをあいまいにし、市や行政と同じように「もう、そういう時代じゃないのに、いつまでも甘えているから差別がなくならない」と、私たちに言ってきていました。そういうのにウンザリしていた時、全国連を知り、どんな差別も許さず本当に自分たち一人一人が、作り上げる解放運動が出来ると感じたから、全国連を作ったはずです。
 この学生が、「全国連の住宅闘争は物取り主義」というのは「今は物のとれない時代。だから、物ではなく、団結で決まる」という意味だ、と言ってます。だけど、それは「もうそんな時代じゃない、いつまでもそんなことを言っているから差別される」といっている、行政やこれまでの解放運動の人たちの考えに、ものすごく共通しています。どっちも、なんで俺らが住宅闘争をやってるかということ、部落のみんなはどれだけ必死の思いでやってるんかということが、わかってないと思います。「家賃があがったらムラに住み続けられなくなる」という必死さやその現実をわかってるんか? と疑問に思います。
 こういう考え方の人が仲間の中にもいるからこそ、住宅闘争はものすごく困難であり、国や行政は、そういう所も見すかして、より差別的に攻撃してくるんだ、ということも忘れてはならないと思います。だから、こういう差別に負けたら住宅闘争はもっとたいへんになると思います。私は、ムラの人たちの住宅闘争への必死の思いを、みんなにわかってほしいと感じるから、この学生の言葉は、どうしても許せなかったし、悩みぬいた末に私は、本部主催の広島差別事件真相報告集会に行くことにしました。
◎ 支部の役員さんにはきちんと答えていただきたいと思います。西郡の住宅闘争は私も重要と思います。だからこそ、疑問に思うのは、なぜ支部はあえて、2月24日に、西郡集会を行ったのですか?なぜ、本部と話し合うとか、日にちを変更するとかを、しなかったのか?ということです。なんでですか?

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