西郡支部の「第17回全国大会に対する態度表明」について

(2008年06月25日)

 

部落解放同盟全国連合会中央執行委員会(2008年5月18日) 

はじめに

去る4月10日付で、部落解放同盟全国連合会西郡支部の執行委員会は、「第17回全国大会に対する態度表明」という文書を同中央本部に送付してきました。その内容は、「西郡支部は、支部執行委員会で全国大会への不参加を決議した」ことの通告であり、その理由書に相当する「態度表明」でした。
*以下、部落解放同盟全国連合会は全国連と略
部落解放同盟全国連合会西郡支部は西郡支部と略

このたび、この文書にたいする全国連中央執行委員会としての見解を、内外に明らかにします。

その理由は、遺憾にも、同文書が、全国連中央本部への送付と同時に、全国連の各支部ばかりでなく、外部の各方面にまで送付されていることが判明したからです。しかも、その封書の差出人には、「全同連西郡支部」なる奇怪な名称が使われています。
もちろん、こういう問題は、全国連内部の問題として解決すべきことです。これまで全国連中央本部としては、そのように扱ってきましたし、今もその立場に変わりありません。現在なお、中央本部から西郡支部にたいして、話し合いをよびかけています。

しかし他方で、こうした組織的ルールをまるで無視して、全国連中央本部の意図をこえて、全国連の外部にまで問題が波及し、混乱を生じています。その背景には、革命的共産主義者同盟(革共同と略)の、許しがたい全国連への敵対と西郡支部への介入・利用主義が歴然と横たわっています。
ゆえに、内外の疑問に応えるためにも、このたび見解を表明する次第です。


(1)問題の経過の概要

なぜ、こういう事態にまでいたったのか、経過の概要を紹介します。

⓵1月12〜13日に、奈良市内において、全国連は拡大中央委員会を行ないました。全国各支部から、中央役員、地域代表80人が参加し、2日間にわたる討議を行ないました。
その場には、西郡支部からも、長崎支部長、岡邨副支部長、末光事務局長、久原会計の4人が参加していて、数度に渡って発言の機会もありました。
そのなかで、長崎支部長から、メモを読み上げるかたちで、「奈良は(住宅闘争で)調停に屈していると聞いている。本当であれば、白旗をあげておいて勝利も団結もないのではないか」と、発言がなされました。
これに対しては、その場で、大橋中執から奈良市の住宅闘争の全貌を説明しました。また、奈良市の住宅闘争の当該であり、今も差し押えをうけつつ供託をしている婦人からは「私たちは屈していない。白旗なんて失礼だ」と強く抗議しました。
この点について、2月3日に、西宮で開催された同和住宅家賃値上げ反対全国連絡協議会(同住連と略)の代表者会議において討議がなされ、「奈良は白旗」発言の撤回と謝罪を、2月15日までに文書回答することが決定されました。その場には、西郡から久原、岡邨の両名も出席していました。しかし、西郡支部から同住連に対しては、回答の期日はおろか、今日にいたるも回答はありません。
また、全国連中央本部は、事態を憂慮し、本部、支部、同住連の三者代表による話し合いをよびかけましたが、西郡支部からは、多忙を理由に断ってきました。

⓶2月24日に、全国連は「広島差別事件」関西真相報告集会を開催しました。しかし、西郡支部は同日・同時刻に、別の「住宅、医療」集会を開催しました。
真相報告集会は、1月12〜13日の拡大中央委員会において、全国連の総意で決定されたものです。これに対して、西郡集会は、拡中委のこの時点では、西郡支部も出席し、何度も発言の機会がありながら、一言も触れられませんでした。また、前記の同住連の会議では、久原・西郡支部会計が、「拡中委の後に決めた」と明言しています。
もちろん全国連も同住連も、権力の差し押え・明渡し攻撃に対しては、当該の住民と団結して、全国の総力をあげてたたかう方針です。そのことは、全国連も同住連も何度も確認しています。だから、両方が成り立つように、両方に西郡からも全国からも参加できるように、日時の変更を求めました。
しかし、西郡支部の執行部は、これを聞き入れず、2・24集会を開催しました。そして、これを革共同は機関紙等で大宣伝し、全国動員をかけました。

⓷4月12〜13日に、全国連は、第17回全国大会を開催しました。その直前、4月10日に、西郡支部は、支部執行委員会の決議として、長崎支部長、岡邨副支部長、辻西書記長の連名で、冒頭に紹介した文書を中央本部に送付してきました。
中央本部としては、これについて、さっそく4月11日に「文書を大会で配布するので、貴支部で400部印刷して届けてほしい」旨、あわせて「文書の説明のために、ぜひとも大会に参加して発言されるよう再考していただく」よう、申し入れました。しかし、これに対する西郡支部からの回答も、文書の届けもないまま大会をむかえました。
他方で、非常に遺憾なことに、同文書が、本部への送付と同じ4月10日付で、「全同連西郡支部」なる奇怪な封書で、全国連各支部ばかりか、共闘団体にまで無差別に配布されていることが判明しました。
そこで、中央本部としては改めて大会当日の午前に開いた中央執行委員会および大会運営委員会にはかったところ、一同から「大会不参加も文書配布も認められない」という厳しい指摘をうけ、「大会では文書配布をしないこと」「中央本部として大会参加者に責任ある経過説明をすること」が決定され、そのように大会では取り扱いました。


(2)全国大会不参加をめぐる問題について

文書の内容に入る前に、もう一つ、触れておくことがあります。それは、全国大会に西郡支部が執行委員会決議として、不参加をしたこと自体の問題です。

⓵言うまでもありませんが、自分が所属する組織の最高議決機関である全国大会に対しては、大会への参加じしんが構成員の権利であり、また義務でもあります。
全国連は、創立いらい、規約にその点を明記し、部落解放運動の全国組織としての統一と団結を守ってきました。こんにちでは、全国大会は、中央委員会決定を経て、代議員制で行なっていますが、当然にも、西郡支部にも相当の代議員を割り当てています。同盟員の傍聴も可能です。

⓶したがって、いかなる意見の相違があれ、堂々と大会に参加して表明するというのが、当然の組織ルールです。もちろん、西郡支部も、そのルールから例外ではありません。全国連に所属する以上、また、その機会が100%保障されている以上、全国大会に参加して発言することは、組織としての団結の基本中の基本です。
だから、そもそも「不参加の理由書」など認められないのです。大会に参加もできる、発言の機会もある、発言だけで不十分なら来て文書配布もできる、それらを承知のうえで、なぜ不参加なのでしょうか。なぜ、堂々と大会に来て、自分たちの意見表明をしないのでしょうか。中央本部に対する反対意見があるなら、なおさらです。どう考えても、道理が通りません。

⓷西郡支部執行委員会が、全国大会に不参加したこと、しかも、大会の直前に「態度表明」の文書を外部にまで送付する行為にでたことは、余りにも常軌を逸した行動と言うほかありません。
全国の仲間にたいして無責任であるばかりか、西郡の支部員に対しても無責任のそしりは免れません。また、その点からしても、自分たちの主張とする「態度表明」の文書も、果たしてどこまで真剣なのか、疑わしいと言わざるをえません。
こうした行為自体が、全国連の分裂行為であり、全国大会への破壊行為に等しいものと言わざるをえません。文書の内容以前に、こうした行為自体が、とうてい認められるものではありません。


(3)事実関係のデタラメさ 〜デマとわい曲ばかり

そのうえで、西郡支部の「態度表明」の文面に触れていきます。ただ、その場合の重要な前提として、「態度表明」が取り上げている事実関係の問題性があります。中央本部としては、事実関係において、ワラ人形など相手にする必要はないし、そのつもりも毛頭ありません。
真実はどうか。まず、そこを明らかにして是非を問うことが、正しい態度でなければなりません。

⓵拡大中央委員会での長崎支部長発言の事実をすりかえ
「態度表明」の文書では、この点の事実がきわめて曖昧にされ、問題の「奈良は白旗」発言が、事実上かき消されています。
事実は、前にも触れたとおりです。「奈良は(住宅闘争で)調停に屈していると聞いている。本当であれば、白旗をあげておいて勝利も団結もないのではないか」。これが、拡大中央委員会において、会議のなかで、しかも、当該の奈良の参加者を前にしてなされた長崎支部長発言です。
この事実が、拡大中央委員会のその場で問題になり、その後の同住連の会議でも問題になったのです。
ところが「態度表明」では、その文書の冒頭において、あたかも、問題がこの発言の事実にあったのではなく、別の問題であったかのようにすり替えられています。問題になった「奈良は白旗」発言を、懸命にかき消そうとしています。
実は、この長崎支部長発言は、拡中委のさいに近くに座っていた久原会計がメモを回し、そのメモを長崎支部長が読み上げるかたちでなされたものです。周辺に座っていた複数の参加者が、はっきりとその光景を目撃しています。だから、この発言のあと、「長崎支部長は、誰から、そんな誤った情報を聞いたのですか」と質問されたさいには、長崎支部長はシドロモドロになったのです。
ところが、2月3日の同住連の会議でこの点を聞かれて、久原会計は「あれは長崎さんの見解です。支部としては、そういうウワサはないし、そう判断はしていない」と、何と長崎支部長の個人責任にしてしまったのです。
些末なことを言うようですが、この経過をどう評価するかは、読者の判断におまかせします。しかし、あえてこの経過を紹介するのは、西郡支部の一部役員には、こうした事実を支部内外の目から隠したい、かき消したいという意図が、文面からありありとうかがえるからです。
そのうえで、「態度表明」では、後の方でこっそりと、「長崎支部長が(あくまで支部長のせいに!)質問としてだしたもの」と言っています。しかし、これは問題のすり替えにすぎません。
では、果たして「質問にすぎない」と言うならば、一緒に住宅闘争をたたかってきた仲間に対して、「白旗」などという、こんな言葉を使うでしょうか。しかも、奈良市の仲間は、現に行政から給料の差し押えをうけつづけ、必死でたたかいぬいている、西郡にとっても、同じ境遇の仲間ではありませんか。
こんな、恥ずかしい言い逃れではなく、発言の事実がどうなのかをキッパリと認め、真摯に謝罪・撤回すべきです。なぜ即座に、当該の奈良の婦人が、たまりかねて、「失礼だ」と抗議したのか、その婦人の思いに向き合ったらどうですか。この婦人は、家族で毎月10万円の給料からの差し押えをうけながら、今なお、不屈に供託してがんばっている人なのですよ。それを、メモをまわした久原会計はよ〜く知っています。よく承知のうえで、どうして「態度表明」のような文書がだせるのか。まったく理解に苦しみます。

⓶2・24集会の設定について
「態度表明」では、今頃になって、「2・24西郡集会の設定は12月に決めていた」と述べています。そして、全国連中央本部のほうが、後になって2・24「広島差別事件」真相報告集会をぶつけ、まるで、西郡の大事な集会を妨害したかのように映し出そうとしています。ペテン師が顔を赤くして逃げ出しそうなウソを平気でついています。
しかも、自分たちの描いたウソで執行委員会を組織し、このことを決定的な口実にして「中央本部は西郡に冷たい」「西郡支部の団結を乱した」とまで言い、全国大会不参加にいたる重要な理由にあげているのですから、あきれはててしまいます。
真実はどうなのか。
1月の拡中委では、西郡支部は何度も、どこの誰よりも多くの発言の機会がありながら、「2・24西郡集会」など、一言も触れませんでした。会議の最後に、2・24真相報告集会の開催を採択したときにもそうでした。「12月に決めていた」と言うなら、なぜ1月の拡中委の時点で明らかにできなかったのでしょうか。
さらに、2・3の同住連の全国代表者会議という公の席で、久原会計が「西郡が後になって決めた」「支部で決めましたので…」と証言しています。必要なら、証拠の記録も録音もあります。
今頃になって、「12月に2・24西郡集会を決めていた」と言うのは、余りにも見え透いたウソにほかなりません。

⓷中執議題書の引用じたいがデッチあげ
さらに、驚き、あきれるような事実に触れておかなければなりません。
「態度表明」では、次のような引用があります。
「西郡は住組をきりすて、八尾北の3人だけを丸抱えで守る。西郡住民全体の苦しみや要求は歯牙にもかけない。西郡支部はぼろ屑のように捨てられる」(2月17日本部中執議題書)という信じられないようなデマ…。

では、本当の2月17日中執議題書には、何と書かれてあるのかホンモノを引用します。
⓵革共同のひきまわし
・極悪の政治的利用による全国連分裂策動
⓶その場合、第1の核心は広島差別事件の開直りと差別糾弾闘争への全面敵対への踏み切りにある。そのために「革共同VS全国連ではなく、全国連内部の分裂問題に」(革共同内部文書)すりかえる。差別事件の開直りのために、部落民同士をたたかわせるという、許しがたい策動。
⓷もう一方の核心は西郡支部にとって、革共同の介入・ひきまわし・利用、ひいては西郡支部の解体に必ずいきつく。とりわけ、住宅闘争にとって—住組としてのきりすて・解体。八尾北の3人だけ守る。西郡住民全体の苦しみや要求は歯牙にもかけない。こんなものは、住宅闘争ではない。西郡の住民じしんの自己解放闘争—部落解放闘争としての住宅闘争など、絶対に位置付かない。差別行政ともアリバイ的にしかたたかわない。彼らの言う「団結」つまり革共同の利用できる結集軸としてのかぎりで、錦の御旗に掲げる。革共同の今日の路線からは、住宅闘争を本気でたたかうことなど、絶対に位置付かない。西郡支部は利用され、ぼろ屑のように捨てられる。住組の姿は、西郡支部全体のあすの姿。

これのどこをどう読めば「西郡は…」などと言う、引用になるのでしょうか。ホンモノの文章の主語は、一貫して革共同です。革共同の策動の評価について、3点にわたって述べています。ところが、「態度表明」では、文章の主語が革共同から「西郡は…」にすり替えられ、革共同への非難が西郡への非難にすり替えられています。これこそ、「信じられないようなデマ」にほかなりません。これも一見些細なことのように見えるかもしれませんが、重大なのは、このようなデマや歪曲、ウソの事実によって支部の執行委員会が組織され、外部にまで流布されているということです。
平気でウソをついて、全国大会の不参加を決定し、そればかりか大会妨害まで働いたことを、全国連は決して見過ごすことはできません。


(4)広島差別事件について

次に、「態度表明」の文書の内容にたちいって見てみます。第1の問題は、西郡支部の執行部は、意図的に、拡大中央委員会での全国連・小森糾弾闘争本部長の発言の一部分のみをとりだして、糾弾闘争を否定していることです。

⓵つまり、西郡支部の執行部は、広島差別事件そのものを何ら明らかにできない、それ自身に正面から触れられないと言うことです。
広島差別事件とは何か、どういう具体的事実があったのか、当該の部落青年Aさんは、次のように告発しています。
「昨年8月末の学生の学習会において、耳を疑うような発言が次々と私に浴びせかけられました。『全国連のことしか考えてない』『戦線主義だ』『住宅家賃値上げ反対闘争は物取りだ』『全国連・中田書記長はリーダーにふさわしくない』と」「また、電話でのときに『糾弾は相手の人格を否定する行為だ』と言われました」「私は、聞いた瞬間、頭はまっしろになりました。仲間だと思っていた学生から、一斉にいろいろな差別発言がこれでもかこれでもかと繰り返されたのです。ある種のショック状態におちいりました。そのひとつひとつが、私の心臓をつきさしたのです」

西郡支部の執行部は、差別事件の具体的な事実が問題になっているのに、当該の話を聞く場を一度も持っていません。差別ではないかと告発している広島の部落青年Aさんの声に、まず真摯に向き合ってみるという、当然とるべき姿勢をまったく示しておりません。Aさんは、各地の全国連支部の学習会に呼ばれ、真相を訴えて回っています。関西では、唯一、西郡支部だけが、Aさんを呼んでいません。
また、支部の内部においても、支部員にたいして、何も明らかにしていません。差別事件の真相を何も明らかにせず、そのことの是非を何も論議することもなく、人の挙げ足だけをとって、ただただ糾弾闘争に反対する、このような態度は部落解放運動としてとるべき態度ではありません。
一体、西郡支部執行部は「住宅闘争は物取り主義だ」と、自分たちに言われたら、どういう態度をとるつもりなのでしょうか。Aさんに言われたことは、自分たちにも言われたこととして、どうして真剣に確かめようとはしないのでしょうか。

⓶したがって、「態度表明」には、全国連が発表した糾弾要綱にはまったく言及できていません。
全国連中央本部は、広島差別事件を取り組むにあたって、糾弾要綱を明らかにし、内外に責任ある見解を表明をしています。
●「住宅闘争は物取り主義だ」と言うのは、それじたいが根本的に誤った主張であり、住宅闘争とたたかう部落大衆にたいする敵対である。住宅闘争は、たしかに、直接には家賃の値上げに反対し、一律低家賃を要求するたたかいである。しかし、それは、部落大衆がムラに住む権利、差別とたたかう権利そのものをかけたたたかいなのだ。
●部落差別というものは、極悪の差別主義者による言動よりも、身近な親友や恋人、同級生や同僚などによる「無自覚な」言動によってこそ、もっとも部落民を傷つける。天皇主義者のような極悪の差別主義者から差別されて自殺するものなどいない。逆に、身近な人々からの差別によってこそ、自殺においやられるほどの苦しみを受けるのである。このことを、西光万吉は「生きたまま心臓をえぐられる」と表現している。
糾弾とは、部落民にとっては、自らの人間的尊厳を取り戻す行為であり、自己解放の主人公としてみずからをうちたてるたたかいなのである。
そして、差別によって引き裂かれた友人や同僚との信頼と団結を取り戻していくたたかいなのだ。

「態度表明」では、西郡支部の執行部は、こうした中央本部の見解に何ひとつ触れていません。しかし、それでは余りにも御粗末な「態度表明」と言うほかありません。
西郡の部落のきょうだいならば、誰しも差別された体験があり、部落差別のつらさ、くやしさをもっともよく知っているはずです。現に八尾市議会での、日本共産党員による「エッタ」差別暴言を目のあたりにしたことは記憶に新しい。今も、日常のように、部落差別が西郡のきょうだいを襲っているに違いありません。
そういう西郡のきょうだいにとって、Aさんの声や、中央本部の見解を知れば、圧倒的に共感していただけるものと確信します。西郡支部の執行部は、そうした部落差別の現実におかれた西郡のきょうだいにたいして、一体どう責任をとるつもりなのだろうか。

⓷ところで、「態度表明」で西郡支部の執行部は、1月拡中委での全国連・小森糾弾闘争本部長の発言を、冒頭からとりあげ、問題にしています。しかも、意図的にその一部分のみをとりあげ、かつその部分すら歪曲して大騒ぎしています。
実際の小森発言は次のようなものです。
「…私たちは、革共同の政治利用を絶対に許さないし、私たちが政治利用する何ものもありません。私たちはこのことを断固として確認して、Aさんという一人の部落解放的決起、さらには階級的成長をずたずたに踏みにじった革共同を断固として糾弾していかなければならないと思います。
…全国連はいかなる政治利用も排し、この糾弾要綱にそって明らかにし、徹底糾弾していきます。直ちに全国各支部での糾弾要綱での学習会を開催していきましょう。そのうえで、各地で真相報告集会を開催していきます。自民党から解放派からさまざまな党派、あるいは解放同盟にも呼びかけをしてですね、すべての勢力を結集して真相報告会をもってですね、糾弾闘争になっていく。糾弾闘争というのは、〈この差別を許さない〉という一点でたちあがっていくわけです」
以上のように、小森発言の真意は、「この差別を絶対にあいまいにしない、許さない」という、断固とした糾弾の意志にあります。その核心は、ほかの誰でもない、自分の手で差別とたたかうという点にあります。「態度表明」は、その肝心の核心をはずしています。Aさんの、命懸けの告発にたいして、まず、自分がどうなのか、ともにAさんの身になって考えるのか、それともAさんに背を向けて見殺しにするのか、その点こそがまっさきに問題にされるべきなのです。そこから自分をはずし、この点をぬきにした「態度表明」など、問題にもなりません。無責任の評論以下です。
そのうえで、小森発言は、全国連の方針として、自民党や解同本部派との共同闘争をよびかけたものでは、断じてありません。そんなものは、全国連の方針として存在しません。「革マル派や日本共産党、こんにちでは革共同もふくめて、差別者集団を除いて、この差別を許さないという一点で、真相報告集会への結集をよびかける」と言うことにすぎません。そこでも、主体は、自分であり、全国連です。全国連が、広範な層に向かって、真相報告集会をよびかける、糾弾をよびかけるということなのです。部落のなかには、とりわけ、多数の運動団体が存在する長野の部落の現実にあっては、よびかける部落大衆のなかに、心ならずも自民党も、公明党も、本部派も、同和会も存在します。その人々にたいしても、差別糾弾をよびかけてどこが悪いのですか。それらの人々をも、差別糾弾闘争をとおして、階級的な成長をかちとり、全国連の隊列に獲得していくことの、どこが間違いだというのでしょうか。
西郡支部の執行部が、まるで鬼の首をとったかのように、小森発言を問題にするのは、以上のように、まさに、ためにする糾弾闘争への否定にほかなりません。


(5)弾圧問題について

内容上の第2の問題は、昨年の弾圧問題についてです。

⓵この点は、全国連中央本部は全国大会において、責任ある総括と教訓を出しています。議案書に詳しいので、もはやここでは繰り返す必要はありません。大衆団体としては、これで十分だと思っています。
全国連は弾圧の嵐を何度もくぐってきました。かっての荒本弾圧。最近の寝屋川弾圧。そして昨年の中田書記長への弾圧。これらとの食うか食われるかのたたかいをやりぬくなかで、弾圧とのたたかいの生きた教訓をだしています。どこかの党派のお題目とはわけが違います。

⓶ところで、西郡支部の執行部の一部の諸君は、革共同の東大阪地区委員会に所属しています。この革共同東大阪地区委員会こそ、まっさきに、この弾圧の総括を公表してみせるべきなのです。なぜなら、彼らの指導部、東大阪地区委員会の副委員長の要職にある人物も、この弾圧で一緒に逮捕されたのですから。西郡支部の執行部の一部は、そこにこそ、総括を問えと言いたい。弾圧について、いっぱしのことを言うのなら、まず先に自分たちの責任を果してからものを言うべきではないでしょうか。なぜ、それをしないのか、不思議でなりません。
弾圧問題を他人ごとで評論することは許されません。西郡の執行部は、一度でも弾圧の経験があるのですか。弾圧を自分でくぐってから、本当に運動のためになるような、まともな教訓を出してきて論議すべきではないでしょうか。
自分たちの中から、逮捕時の、しかも、デモや闘争ではない事例で逮捕者がでたときどうするのか。「略式起訴」が現実問題になったとき、どうするのか。
これらは、決して一概にお題目で済ますことはできません。実際に全力で権力とやりあって、その生きた教訓で、対権力を大衆運動じしんのものにしていこう。それが、全国連の弾圧とたたかう態度でなければなりません。


(6)住宅闘争について

内容上の第3の問題は、住宅闘争についてです。この点では、「態度表明」は、「全国連中央本部は分納を方針化」と、またしてもワラ人形を作って噛み付いています。

⓵しかし、これでは何ひとつ本部方針の批判になっていません。全国大会の住宅闘争にかかわる議案書に、何も反論できないことに等しいのです。したがって、ここでは、大会議案書を紹介することが何よりの回答です。
●「態度表明」では、奈良市でのたたかいに何ひとつ触れることができません。西郡の大衆のまえに、明らかにできないのです。中央本部は、大会議案書で次のように紹介しています。

「昨年3月、奈良市は、突然、公務員・民間の労働者15人にたいして、給料の差し押えを発表しました。これを、数度の大衆闘争で、いったん4月実施を阻止しました。しかし、5月になって、強行してきました。奈良のきょうだいは、一層怒りを燃やし、組合員の団結を固めて、市長自宅へのデモをはじめ、一歩も引かずに、たたかいました。今現在もなお、大橋中執(同住連事務局長)をはじめ、給料の4分の1を取られながら、供託を堅持してたたかっています。
差別キャンペーンで全国に名をうった奈良市も、このたたかいと1人も崩れない団結の前に、震えあがりました。反動判決いこう、実力でこうした状況をつくりだしたなかで、組合の総意において、裁判所への調停もやり、実際に生活できない組合員の分納交渉もやりました。
その場合、大事なのは、組合でトコトン話し合い、あくまで、組合として、当人の当然の生活権を守るためのたたかいとして取り組むことです。1人もきりすてない、1人の脱落も出さないということです。
必ず、当該と組合代表が同席し、1人4時間、のべ100時間の交渉を行ないました。また、奈良市従は、連帯して、労組としての要求を行政につきつけて援護射撃してくれました。
その結果〈裁判で確定した部分の、生活を破壊しない額での分納〉〈確定いこうの家賃は、支払いが終了してから、話し合いで決める〉〈今後供託はしないとか、応能応益を認めるとかの誓約書は削る〉という、成果をかちとりました。裁判所の判決を事実上、粉砕したのです。
こうしたたたかい方によって、50人の組合員は、1人もやめることなく、今でも月千円の組合費を払って、組合でがんばっています。すばらしい偉大な勝利です。どこにだしても恥ずかしくない、全国連三大闘争の、〈法のない時代〉におけるお手本です。」

西郡支部の一部役員は、この奈良のたたかいを「白旗だ」と言って非難しています。革共同の「全国連の住宅闘争は物取り主義」と「奈良は白旗」は一対です。彼らは「物取り主義とは、言っていない」と否定していますが、正体はバレバレです。これのどこが「白旗」なのか、あらゆる労働組合、民主団体、法曹界に聞いてみたいものです。

●また、中央本部は大会議案書で次のように言っています。
「大衆的実力闘争が基本—そもそも、部落解放運動における住宅闘争とは、部落差別のなかで、人間らしく住む権利すら奪われてきたことにたいする、権利をとりもどし、人間として最低限の居住を保障させる大衆的要求闘争です。また、部落解放運動においては、部落差別とたたかって生きていくための、団結権をかけた闘争です。だからこそ、住宅闘争には、部落民の人間としての誇りがかかっているのです。
したがってまた、部落解放運動においては、住宅闘争はもっとも切実な要求闘争として、しかも、部落民じしんのもっとも広範な大衆的実力闘争として展開されてきました。団地を建てさせるときも、家賃を決めるときも、また入居を決めるときも、それどれが、どの部落でも、血と汗のにじむような大衆的実力闘争としてたたかわれてきました。
供託を中心とした、この10年間のたたかいも、原点はそこにあり、大衆的実力闘争の一環にほかなりません。また、反動判決いこうの、行政との直接のやりあいも、まさにそうです。目の前の行政とやりあいつつ、一層地元の団結を強く固いものにしつつ、全国のきょうだいでひとつに団結して、公営住宅法—応能応益の元凶である国・国土交通省にせまっていくたたかいです。地元住民のもっとも切実な要求闘争であり、同時に、政府にせまる全国闘争、政治闘争なのです。
この基本をしっかりおさえつつ、それこそ、あらゆる戦術をあみだし、縦横無尽にたたかいを広げることが重要です。判決以降でこそ、思う存分、むしろ裁判の制約をとっぱらって、大衆の団結と総意に依拠してたたかいぬくことです。
だから、どんな方針で、どんな戦術でたたかおうとも、住民の団結こそが、いっさいの源泉です。
奈良市のように、団結さえあれば、いろんな戦術が住民から出されて勝利の道筋が見えてくるのです。分納においても、団結しだいで、たたかいの武器に転化できます。1人の脱落もださない、1人もきりすてない、団結をより強固にすること抜きには、勝利をつかむどころか生活の不安が増し、団結が崩されて、組合の存亡の危機にまで及びます。
また、労働者への働き掛けが、とっても重要です。奈良市従労組は、機関決定で私たちへの支援を決めました。市長へ給与差し押さえを撤回するよう要望書を出し、団体交渉事項にして、さかのぼって住宅手当てを勝ち取ることができました。支援基金も昨年の6月から取り組まれています。このような労働者の決起こそ、もう一方の重要なたたかいの柱です。」

これのどこが「敗北の道」ですか? 西郡支部の皆さんには、執行部の示すワラ人形ではなく、この全部を示して、一度聞いてみたいものです。

⓶逆に、西郡支部の一部役員に問いたいと思います。
勝手に、ワラ人形をつくって八つ当りする暇があったら、肝心の西郡の住宅闘争をどうするのですか。残念なことに、この大事の前に西郡の住宅組合は解散し、供託者は大量に離反してしまいました。その点でも、奈良のたたかいを教訓にされなかったことは、残念無念ですし、その道を閉ざした一部役員の責任は重大です。
明渡し攻撃。必ず、やがて執行段階がやってきます。そのときどうするのですか。全国のきょうだいは決して見殺しにはしません。しかし、そのためには、同住連の団結の回復をどうするのですか。
差し押えされた住民の不安をどうするのですか。
さらに、奈良のように、預金から給料への拡大は必至です。どうするのですか。
膨大な「滞納者」のことをどうするのですか。
西郡の住宅闘争は、革共同の言う「プロレタリア革命の実験場」ではありません。「団地を守ことが目的ではない」「住民の生活を守ることが目的ではない」「労働者が団結すれば勝利」とでも言うのですか。


(7)誰の利害のために

最後に、西郡支部の執行部に聞きたい。「そもそも、これらの問題について、どこまで支部全体に明らかにし、討議してきたのだろうか。この文書は誰が書き、誰の見解なのか」と。
「態度表明」は、事情を知れば、誰がどう読んでも、デマと歪曲に基づいた意図的な文書です。
その意図、目的は何なのでしょうか。
誰のために? 誰が喜ぶのでしょうか? 全国大会に結集した全国のきょうだいは、誰も支持しません。支部の仲間も、誰も喜ばないはずです。
ただ革共同のほうをむき、革共同擁護あるのみ、革共同の利益のためだけの文書です。
その背景には革共同が存在し、革共同に追随する一部役員が暴走していることは誰の目にも明らかです。革共同は、ただただ、自分たちが犯した広島差別事件の開直りのためにのみ、西郡支部をトコトン利用しているのです。「全国連対革共同ではマズイ。全国連対西郡のケンカにしろ」−これが革共同の方針です。革共同の本部や関西の指導部会議のメモで、ハッキリとそう書かれています。
全国連は、この革共同を絶対に許しません。西郡支部は、この革共同の方針を認めるのですか。
革共同と断絶し、全国連で団結して住宅や医療を守り、部落差別をなくすために、共にたたかおうではありませんか。
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