広島差別事件 真相報告関西集会でのAさんの訴え

(2008年02月24日)

 

私の訴えを聞いてください  広島支部青年部長A

真相を報告するAさんと広島支部のきょうだい 1)わたしは、広島・福島町で、全国連・広島支部の青年部長をしています。わたしは、修道大学に通っていますが、部落のなかでの活動だけでなく、大学で、ともに部落差別とたたかう学生の運動をつくるために、人権サークルを立ち上げました。

 また、たたかう仲間の輪を広げようと、全学連の運動にも加わり、全国の学生に部落解放運動との連帯を訴えるとともに、わたしじしんが部落解放運動だけでなく、労働者階級をはじめとするすべての人々のたたかいの先頭に立とうと志してきました。
 ところが、去年の8月、広島で行われた「マルクス主義学生同盟」の合宿の場で、これまで、ともにたたかう仲間だと思って信頼を寄せていた人たちから、耳を疑うような差別的発言が浴びせられたのです。思い起こすたびに悔しくて涙がでてくるのですが、この差別を糺さないと部落解放運動は成り立たないし、わたしじしんのたたかいもないと思い、勇気をふるって、部落のきょうだいのみなさん、たたかう労働者のみなさんに訴えたいと思います。

2)合宿で、『前進』という新聞を読み合わせしたあとでの話し合いのときのことです。
参加した学生から、つぎのような、驚くべき発言がつぎつぎと浴びせられたのです。
 「革命よりも差別とのたたかいは下なんだ」
 「教育労働者は教育現場でたたかっているのだから、部落解放運動は、部落民が部落の現場でたたかえばいいんだ」
 「Aちゃんは間違っとる。あのね、労働運動したら同時に差別とのたたかいもできるんよ」
 「Aちゃんは間違っとんよ。あなたは戦線主義なんよ、全国連のことしか考えてないじゃないの。」
 (「うちのどこが間違っとん?」という質問にたいして)
 「いや、全国連が間違っとんよ」「住宅闘争よ。住宅闘争の村の人らは労働者集会に来てないし、労働者と連帯してないじゃないの。住宅闘争はもの取りじゃないの」

 わたしは、これらの発言を聞いたときに、頭が真っ白になりました。「全国連はもの取り主義だ」とか、「部落差別とのたたかいは革命よりも下だ」とか、「労働者は差別とのたたかいをしなくてもいい」など、わたしが自分の人生と、命をかけて取り組んできた部落解放運動を根本から否定し、全国連を侮辱する発言が、警察や行政などの権力者の口からではなく、たたかう仲間だと思ってきた人たちから浴びせられたのです。
 もちろん、わたしは、一生懸命に反論しました。でも、このときに味わったショックは口では言い表すことができません。まるで心臓に氷の刃がささったような気持ちで、「このまま言わせておいてはいけない」と思いながらも、自分が何をしゃべったのかもよくわからない状態でした。
 もし、同じことを、警察や行政から言われたとしたら、こんな気持ちにはならなかったと思います。ますますファイトを燃やして、「こんな奴らは打ち倒してやる」という気持ちになったはずです。でも、仲間だと思い、信頼できる人だと思ってきた人たちが全国連や部落解放運動をこんな風に見ていたのかと思うと、本当に悔しくてたまりません。

3)わたしは、はじめは、これらの発言をわたしの胸におさめておこうと思いました。こんな発言を許している自分が情けなかったし、じぶんの力で撤回させなければとも思ったのです。
 しかし、「全国連はもの取り主義だ」とか、「住宅闘争は労働者と連帯していない」など、全国連を侮辱し、部落解放運動を否定する発言は、たんに、合宿のときだけの一時的なものではなく、学生全体をこういう考え方で染め上げようとしていることや、全国連を自分たちのいいなりになるようなものにするために、わたしをその手先にしようとするものだということを強く感じて、このまま自分の胸だけにしまっておいてはいけないと思い、わたしの所属する広島支部に報告しました。
 実際に、学生の差別的な言動は、合宿のときだけではなかったのです。あるときには、「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない。全国連を新体制にすべきだ」と言ったり、あるときには、「(全国連会館を)売ればいいじゃん」などということが、「学生のリーダーたちから言われていたのです。
 全国連の創立以前から新しい部落解放運動のリーダーとして血を流してたたかってきた中田書記長にたいして、「リーダーとしてふさわしくない」などと、いったい、なんの権利があって言えるのか。部落差別とたたかう福島町住民のかけがえのない団結の象徴である全国連会館を、たとえ冗談にせよ、「売ればいいじゃん」などというような言葉がどこから出てくるのか。骨の髄から腐っているとしか言いようのない現実だと思います。
 とくに、わたしは、「住宅闘争はもの取り主義だ」という発言は絶対に許せません。これは、部落に住む権利、差別とたたかうための団結をかけて明け渡し攻撃と実力でたたかいぬく福島町や全国の部落の人たちにたいする敵対であり、権力や行政といっしょになって住宅闘争をつぶそうとする主張だと思います。これは、わたしが受けた差別ということにとどまらない、福島の全住民、全国の部落民にたいする許し難い差別ではないでしょうか。

4)もうひとつ、付け加えることがあります。それは、事実確認会にたいする学生の態度です。なんと、この学生たちは、三度にわたって、話し合いや事実確認会への出席の約束を破ったのです。
 最初は、マル学同と上部団体である革共同のなかでの事実確認会です。約束の日時に、二時間いじょうも遅れて学生の責任者であるNから電話がかかってきました。この電話で、Nから、「そちらには行けない」「Aちゃん、糾弾は人格を否定する行為なんだよ」と、信じられない言葉が返ってきたのです。
 本当に、悔しくて、悔しくて、涙が止まりませんでした。いったんは絶望しながら、でも、このままではだめだと思って、必死の思いでわかってもらおうと思って、祈るような気持ちで待っていたわたしにたいする回答が、この言葉だったのです。Nや学生たちにとって、わたしは人間ではないのか。この言葉は、合宿での発言いじょうに、絶対に忘れません。
 二度目は、広島支部の主催による事実確認会です。広島支部が開いた第一回目の事実確認会にいやいや出席したNらは、「差別などしていない」と開き直り、広島支部の役員や婦人にたいして、「おまえが悪いんじゃ」とか、「あんたは黙っとれ」などと傲慢な態度をとりつづけました。それでも、その場で、参加した部落の人たちの前で、次回の事実確認会への出席を約束しました。
 ところが、二回目の事実確認会の直前に、Nらは「事実確認会には出ない」という一方的な通知を送りつけて、この約束を破ったのです。そればかりか、Nや、Nの所属する革共同という組織は、「差別事件はでっちあげだ」という文書をつくって、あちこちにばらまき始めました。
 三度目は、広島支部の青年との間でかわした「話し合い」の約束です。わたしたちは、かたくなに「事実確認会」から逃げ回るNらにたいして、わざわざ広島大学に行って、「事実確認会がいやなら『話し合い』をしよう」と言って、それも「全国連の支部役員の前でできないなら青年部だけで」という譲歩までして、話し合いを行うことを約束させました。ところが、こんども、直前になって、Nから「話し合いには行かない」という一方的な電話で反故にされたのです。
 なんということでしょうか。どこまで卑劣な人たちでしょうか。いったい、これが「革命」だとか、「共産主義」だとかと主張する組織のすることでしょうか。この人たちにとって、部落民や部落解放運動など約束を守る必要もないもの、部落民が差別に苦しもうが、生きようが死のうがどうでもいいものだということです。こんな人たちは、「革命」だとか、「労働者の解放」だとか言う前に、そもそも人間失格だと思います。

5)わたしは、こんかいの差別事件とのたたかいのなかで、38年前に三次高校の弓場美恵さんのことを知りました。
 交際していた広大生Iが親といっしょになって「部落民は黒い血が流れている」「そういう者とはつきあえない」と差別、そのショックで美恵さんは抗議自殺をはかりました。このときは命を取りとめ、この差別を乗り越えて、部落解放運動に立ち上がっていくのですが、差別映画「橋のない川」上映にたいする糾弾闘争をたたかおうとしていたときに、それまで信頼していた担任の教師(共産党員)から「やめろ」と言われて絶望感を味わい、再び自殺をはかったのです。二重の差別によってこの世を去ったのです。
 弓場美恵さんの無念は、どんなだったろうかと、涙がこみあげてきます。差別され、必死の思いで糾弾することをも踏みにじられ、どんな気持ちで毒を飲んだのか、わたしにとってけっして他人事ではありません。
 でも、わたしは負けません。もう、泣きません。悔しさを怒りに変え、糾弾の力に変えて、こんかいの差別にたいする徹底糾弾のたたかいに立ち上がります。わたしは一人ではない、わたしの周りには全国連の仲間がいる、こんかいの差別とのたたかいのなかで、このことをあらためて強く確信しました。マル学同の学生と、それを擁護する革共同を徹底糾弾し、必ず全面自己批判させます。どうか、わたしに力をかしてください。ともに、部落完全解放に向かって、吹き荒れる差別をはねとばしましょう。

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