寺尾判決33カ年糾弾 第3次再審勝利へ 狭山統一行動うちぬく 1

(2007年11月10日)

 

元気に登校する子どもたち ムラぐるみで狭山集団登校を復活 -奈良・古市支部-


 【奈良・古市支部】昨年のくやしい敗北をのりこえ、みごとに狭山集団登校を復活させました!
 10月25日に狭山子ども集会を成功させ、当日の26日には他の支部のきょうだいや共闘の労働者もたくさん応援にかけつけてくれました。 前段早朝集会のあと、敵対・妨害する勢力に指一本ふれさせない態勢をとり、となりムラの横井のきょうだいと合流してともに小学校と中学校へ元気にデモをおこないました。全校集会では子どもたちが堂々と活動報告と決意表明をやりぬきました。
 事前のとりくみとして、ビラ配りやタテカン設置はもちろん、保護者を中心としたオルグをやりぬき、子ども会や親の会に出向いて狭山ビデオ上映や学習会、6月に「再建」した解同古市支部との懇談など、まさに「ムラぐるみ」のとりくみをめざしてたたかいました。
 しかし、これはリスタートであり、新たな出発点にすぎません。全国連はこの勝利をバネに、狭山闘争の勝利とムラの総団結をめざしていきます。

説明をきき無実・差別を確信 新たな仲間と狭山現調 ー長野県連・青年部ー

【長野県連】10月8日、県連青年部は狭山現地調査を行いました。当日は青年部への初参加者が2名もいました。ひとりは、女性部員が全力でオルグをして獲得した人で、「みんなで行くのなら、車も提供するし運転もするよ」と言って、積極的に参加してくれました。
 現地では狭山支部の方に案内をお願いして、真実のコースと「自白」のコースを歩きました。現地の状況がまったく変わってしまっていても、自分たちで歩いてみると、絶対に石川さんは犯人じゃないという確信が深まります。
 「石川さんの真実のルート、そして警察が作った偽のルート。それを体験した私の思いは、この場では言い足りないくらいです。今までの活動の意味を再確認できました」
 「デタラメなデッチあげの嵐! 矛盾だらけの作り話に頭に血が上ってコブでもできるかと思いました」
 「部落差別の現実をはじめて知った。真剣にとり組んでいかなければいけないと思う」…。
 参加した青年たちは、狭山第3次再審闘争勝利にむけて、「長野青年部が先頭にたつぞ!」と、決意を新たにしました。

狭山でムラの絆強める ー広島支部ー

【広島支部】青年部を中心とした町内ビラまき・署名行動・学習会、そして10月28日には支部会館にて狭山集会をとりくみました。
 青年部では、連日自らつくったビラを福島町内の住宅にまいて、署名活動にうってでました。
 そのなかで、かつての太田川闘争や無医村であった町内に病院の建設をとりくんでこられたご婦人には、部屋に入るよう言われ、そこで当時のたたかいや生活の大変さをうかがうことができました。
 また、かつて狭山闘争をとりくんだ方が、「若い人が狭山を引き継いでがんばってほしい」と熱くエールを送ってくださいました。ほかにも、腕のあがらないお年寄りの方が「字を書くのは大変だけど…」と言われながらも、署名・カンパに応じてくれました。
 署名活動をつうじて地域の方々とのふれあいやコミュニケーションがとれたこと、そこで狭山勝利にたいする大きな支持や励ましを受けたことが大きな収穫でした。
 また青年部と広島大解放研、学促講師の学生と一緒の学習会にて、狭山闘争ニュースの読み合わせをしました。寺尾判決の差別性やデタラメな見解について説明を付け加えながら進め、それへの怒りを共有しました。狭山にはじめて大きくふれた学促講師の学生に、部落問題に関心を持ってもらえるいい機会となりました。
 28日の狭山集会では、支部員や共闘の方々約30名が結集しました。発言では、住民の会の李さんをはじめ、青年部、広島大解放研、そして婦人部が、狭山闘争との出会いや勝利にむけての決意表明がだされました。青年部は、学習した寺尾判決の差別性を糾弾し、「青年自身が狭山闘争を牽引するぞ!」と力強く決意を述べました。解放研の学生は、「将来教師になって、狭山が勝利したことを授業で教えることがぼくの夢。そのためにも狭山勝利、解放研の組織拡大をめざしてがんばります!」と希望あふれるアピールを発しました。
 そして金平中執は特別報告で、「今こそ狭山と住宅を軸に差別糾弾闘争の爆発をかちとろう!」と、部落民の人間性を取り戻す差別糾弾闘争の重要性・必要性を改めて訴えました。
 広島支部は、この狭山闘争をステップに、より石川一雄さんと連帯して、差別糾弾をかかげてたたかいます。全国連は団結してたたかっていきましょう。
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