10・31-33カ年 あらためて寺尾判決を糾弾する

(2007年10月12日)

 

差別裁判官・寺尾正二 どこが「十分な検討」か! 

 狭山裁判の第2審では、弁護団からカバン、万年筆、腕時計、足跡などについて、発見された経緯や状況が「自白」とは矛盾していることが明らかにされました。これにより、「自白」は決して「任意」によるものでなく、警察官たちの脅迫などによっておしつけられたデッチあげであると訴えられました。

 これに対し、寺尾裁判長は判決文で「自白の任意性」についてのべるなかで、つぎのように言いました。
 「当裁判所は、いやしくも捜査官において所論のうち重要な証拠収集過程においてその一つについてでも、弁護人が主張するような作為ないし証拠の偽造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件はきわめて疑わしくなってくると考えて、この点については十分な検討を加えた」…と。
 しかし、本当に寺尾は「十分な検討」をしたのか。まったく逆です。寺尾裁判長は狭山担当裁判官になってわずか4ヶ月ですでに証人尋問が決定されていた弁護側の鑑定人尋問を取り消し、弁護側が要請していた証人・証拠の事実調べ、現場検証のすべてを却下したのです。
寺尾判決の衝撃を報じる新聞  なぜか。この第2審でだされた証拠や証人を事実調べすれば、石川さんの「自白」とされたものがすべて刑事たちの拷問によっておしつけられたデッチあげの自白であることが明らかになるからです。
 第2審では、石川さんをデッチあげた長谷部や青木、関といった張本人たちも法廷によばれ、石川さん自らが「10年でだしてやる」などの「約束」をさせられた状況などを詳細に再現して尋問しました。
 長谷部らはか細く「記憶にありません」などの偽証で、自らの権力犯罪をかくしつづけました。

デッチあげによる矛盾を「捜査の拙劣さ」でゴマカシ

 寺尾は、これらの刑事たちをつぎのようにいって全面擁護したのです。
 「ただここでは、被告人の取調べを主として担当し、最も数多くの供述調書を作成している員青木一夫が当審において証人として、自分は、平素から供述調書というものは被疑者の言うとおりをそのまま録取するものだと考えているし、それを実践してきたと証言していることを指摘しておくにとどめる」と。
2審石川さん最終意見陳述の公判闘争に決起した11万の人々  寺尾は、この青木刑事の証言を、さらにとんでもない理屈へ「発展」させます。
 捜査の常道ともされる被疑者(石川さん)を現場に連れて行って検証する「ひきあたり」もされていないことなど、「どのような障害があったにせよ、不十分な捜査といわざるを得ない」「はなはだしいのは、同じ取調官が同じ日に2通も3通も調書を作成し、しかもそれらの調書の内容が食い違っていたり、翌日の調書の内容と食い違っている箇所が随所に散見される」と、あたかも捜査陣を批判するような言い方をしています。
 ところが寺尾は「かように考えてくると、捜査官は、被告人がその場その場の調子で真偽を取り混ぜて供述するところをほとんど吟味しないでそのまま録取していったのではないかとすら推測されるのである。しかしながら、それだけに、その供述に所論のような強制・誘導・約束による影響等が加わった形跡は認められず、その供述の任意性に疑いをさしはさむ余地はむしろかえって存在しないと見ることができる」と、メチャクチャな理屈で「自白」はデッチあげではないと居直ったのです。
 また、新鑑定によって、「脅迫状」封筒の宛名の書き換えに使われたのは「自白」での「ボールペンで」ではなく万年筆であったことが明らかにされたことについても、
 「最も重要と思われる脅迫状・封筒についてさえ、被告人に原物を示したことがあるのかどうか疑わしく、むしろその写真を常用していたことが窺われるのであり、そのため、当審に至って鑑定の結果明らかになった脅迫状等の訂正箇所の筆記用具はペン又は万年筆であって、被告人の自供するボールペンではなかったことにつき捜査官が気付いた形跡がないこと、そのため被告人のボールペンを使って訂正したという供述をうのみにし、このことがひいて犯行の手順に関する原判決の認定の誤りを導いているのである」と。
 寺尾は、「警察官はデッチあげなどしない。矛盾がでてくるのは、石川が都合のいいように真実とウソを混ぜ合わせた自白をしたからだ」「警察はただそれを鵜呑みにしただけだ」というのです。
 警察の差別犯罪を全面擁護した判決を許すことはできません。

第3次でこそ証拠開示・事実調べを

 さらに寺尾は、「当審における被告人質問の結果によると、昭和38年4月当時『ライフルマン』・『アンタッチャブル』・『ララミー牧場』などを見ていたというのであるから、TBS(6チャンネル)の木曜日の午後8時から放映されていた『七人の刑事』なども見る機会があったことが推認され、問題の『刑札』の『刑』はこれで覚えた可能性も十分考えられる。そうでなくても簡単な字画であるから『刑』の字を以前から知っていたとしても別に不思議はない」とまで言い放ったのです。
寺尾判決に怒りの声をあげる石川さんのご両親  石川さんは小学校には5年くらいまでいったことになっていますが、実際の識字能力は小学校1、2年生にもおよばなかったのです。
 石川さんが背負わされたこの部落差別の現実には一言もふれず、寺尾の勝手な想像をあてはめて、石川さんと家族がウソを言っているという構図をえがきあげたのです。
 10数冊の部落問題関係と狭山事件関係の本をあげ、「そういったものを読んでおります。両陪臣裁判官においても程度の差こそあれ、かなりの分量のものを読んでおられます」と、さも部落問題を理解しているようなポーズをとっておきながら、これほど部落民を愚弄しもてあそんだ判決を断じて許すことはできません。
 この寺尾判決が確定判決となり、いまなお石川さんに見えない手錠をかけています。いえ、わたしたち部落民すべてにかけられているのです。
 第3次再審闘争で検察がかくしもつすべての証拠を開示させ、事実調べをかちとり、狭山再審を実現しましょう。石川さんと連帯してたたかいましょう。
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