無実の証拠をぜんぶだせ! -3-

(2007年05月10日)

 

「殺害現場」の検証報告を開示させ、権力犯罪をあばこう

カメラをさげて「死体発見現場」からひきあげる捜査員 1963年  警察は、「殺害現場」とされた場所で、被害者の血痕、足跡、遺留品…など、多くの鑑識捜査を行い、当然にもぼう大な報告書類をつくっているはずです。写真のみならず、当時としては最新技術の8ミリフィルムによる動画撮影もおこなっています。
 しかし、「殺害現場」の実況見分調書のうち開示されているのは、7月4日付、8日付の2つだけです。

 1988年に「死体を逆さづりにした芋穴」(「殺害現場」の近く)には「血痕はなかった」との鑑識報告書が開示されました。しかし、裁判所は「血液がすでにかたまっていたから」という検察側の鑑定をふりかざして、再審の訴えを棄却しています。
 検察も「殺害現場」そのもののルミノール反応報告書は「ない」といって、開示を拒否しています。そんな話がとおるわけがありません。まだまだ多くの未開示証拠を隠していることの現れです。
 「殺害現場」とは、警察が1カ月以上も違法な取調べ=拷問によって、石川さんに「自白」させたものです。石川さんは次のようにのべています。
 長谷部さんが、「石川君、寺の所で殺したと言うのはわかったが、あそこから(死体を)なんで運んだのか教えてくれ、まさか、知らないと答えるのではないだろうな、車かい、それともかかえて運んだのかい」と言われたので、「入曽の人に手紙を届けて来い、と言われたので、何も聞いてないのでわかりません」と答えましたが…なおも強い言葉で質問されたので、ひとりで殺したとユーチマエと思って、「ひとりで殺した」と話しました。
 そこで遠藤さんが、「ひとりで殺したと言うのなら仕方ないが、しかし、4本杉まで運ぶには約1キロもあるのだよ」と言われたので、車で運んだと話そうかと思いましたが、それではもし、その車はどこのだと言われると困るので、「4本杉の所で殺した」と話したのです。

殺害現場を知らないことを責め立て「自白」をおしつけ 

 「殺害現場」について検察がかくしもつ未開示証拠

■4本杉の状況に関する報告書(63年7月1日付)
■実況見分調書添付の図面及び現場写真(63年7月4日付)
■63年6月中旬から7月上旬に行われた『殺害現場』の捜査と検証に関する捜査報吉書等関係書類
■犯行経路、殺害現場付近の畑の所有者、居住者、通行人等に関する捜査報告書等関係書類
■殺害現場付近で発見された足跡・タイヤ痕等本件犯行に関連する痕跡に関する捜査報告書等関係書類
■諏訪部正司作成実況見分調書記載の『現場撮影した8ミリフィルム』(63年7月4日付)
■7月4日の実況見分において埼玉県警刑事部鑑識課技師鵜川勝二、同主事小堀二郎が撮影した8ミリフィルム
 当初は、警察の「複数犯行説」にそって「3人でやった」と「自白」させられましたが、警察はあまりに矛盾が多すぎるため、その矛盾を逆手にとって、石川さんをおいつめ、「単独犯行」へと誘導していった。そのようすがわかります。
 さらに、長谷部刑事は死体についていた荒縄をどこで入手したか説明できない石川さんに「なにー、忘れたと、忘れることがあるまえー、自分で盗んできたくせに、よく考えてみることだな」と、怒鳴り散らしておどしました。
 こまった石川さんは「関さんとふたりだけで話したい」と申し入れ、関巡査に死体の状況を教えてくれと相談しました。
 石川さんはそのようすを次のようにのべています。
 「(関巡査が)わかっておれば、わたしだって教えてやりたいよ、しかし、正直のところ何も知らないのだよ。課長(長谷部)さんが、玄さんの近くのだというのなら、間違いないと思うな。だから課長さんの言うとおりにしたほうが石川君のために良い、と思うが、石川君はどうなのだい」と、このようにしろと言われたので、長谷部さんのなすがままに決めました。
 こうしたやりとりの事実を裁判で問いただされた関は、「ぜんぜんそういうことはありません。わたしはただ死体の状態は、見ていないのでわからないと言っただけです」(1964年9月第6回公判)と証言しています。石川さんから死体の状況をきかれ、やりとりしたことを認めているのです。
 このようにしてデッチあげられた「殺害現場」に、「証拠」などでてくるはすがありません。
 警察御用達の鑑定家が「死体から血液がでるとは限らない」と百万回鑑定をだそうが、本当にそこで殺害があったなら、被害者や犯人の毛髪、衣服の繊維、足跡、争った跡など、なにか1つでも残っているはずです。

ルミノール反応検査報告だけではない すべての未開示証拠を開示してみろ! 

 しかし警察や検察がおこなったぼう大な現場検証でも、そのひとつもみつけることができなかった。そのことが、「殺害現場」の未開示証拠をすべて開示させることで、否定のしようもなくなるのです。
 石川さんが語っている「取り調べ」という名の拷問とそのくわしいやりとりが、すべて事実であったことを裏付けることになるのです。
 だから、検察は必死になってこれらの書類や写真、8ミリフィルムを隠しつづけているのです。
 そしてルミノール検査報告のように、裁判所がおいつめられながらも、なんとか無実を否定する理屈をこねられるような未開示証拠だけは小出しにする。
 それをもって、わたしたちの要請行動では「まったく開示していないなどと言わないでほしい」と開きなおっているのです。
 こんなふうにして今も部落差別をひらきなおっている検察や、裁判所をどうして許すことができるでしょうか。
 5・20狭山中央闘争に総決起し、この第3次再審闘争で未開示証拠の全面開示、事実調べと再審勝利をかちとりましょう。

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