無実の証拠をぜんぶだせ!

(2007年03月03日)

 

警察が集めた「上申書」すべてのメモを開示せよ 部落青年120人から集めたぶあついメモの束こそ差別捜査の証拠

 全国連大会議案書で提起されているわたしたちが開示を求める未開示証拠について。ほとんどが部落青年のものと思われる分厚いメモとはどのようなものでしょうか。石川さん逮捕以前において、警察のやったことは「捜査」とは名ばかりの、部落への差別的襲撃でした。当時の衆議院議員で部落解放同盟書記長、田中織之進氏は、この捜査の様子を次のように証言しています。

 「1週間にわたって、部落と外界との交通が遮断されて、警察がほとんど軒並みに立ち並んで、それに報道班が入って、まったく昔の首狩りのようなかたちでやっている」(衆院法務委員会での質問-1963年6月13日)
 戸数にしてわずか数十戸の部落に、200人をこえる刑事たちがマスコミをもしたがえて獲物をもとめるように群がったのでした。それはまさに「首狩り」というべき異様な光景です。
 警察は当初から部落の青年が多く勤める石田養豚所をはじめとした部落青年に目をつけていました。そして、120人に対して事件当日のアリバイについての「上申書」なるものを書かせて筆跡を集めたのです。
 その120人分といわれる筆跡のほとんどは、菅原4丁目と柏原の2つの部落の青年のものなのです。この青年たちに書かせて集めた紙が分厚いメモの束になっているのです。 2審において野本武一氏(当時の部落解放同盟埼玉県連委員長)が、その「分厚いメモ」の存在を証言しており、これは今も検察が保管しているはずです。
 このメモのなかには重要容疑者とされながら、自殺したにもかかわらず、なんの検証もなく「シロ」とされた男性の筆跡なども含まれているはずです。
 これらの筆跡をすべて開示させて検証することで、警察がいかに恐るべき「筆跡あつめ」をやっていたかも明らかになるはずです。
 刑事たちは、石川さんに対しては、5月21日に、石川一雄さん宅をおとずれ、石川さんに上申書を書かせて、これを筆跡鑑定にまわしています。
 そのときに、上申書をかかせた刑事は、なかなか文字を書けない石川さんに、「こうやって書くんだ」とペンを持たせ、その手をつかんで書かせたと、現場に立ち会った石川さんの父・富蔵さんが証言しています。
 これらの「上申書メモの束」を開示させることは、捜査のスタート地点から差別によるデッチあげがおこなわれていたことを証明する重大なたたかいです。

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