「飛鳥会問題」などを口実とした部落解放運動の解体攻撃を打ち破ろう!

(2006年10月10日)

 
権力による解放運動つぶしとたたかおう (寝屋川弾圧をうちやぶって勝利したきょうだい 昨年6月)
差別行政徹底糾弾!


 今日、大阪市の「芦原病院」への補助金の不正問題、「飛鳥会」の市の委託事業をめぐる横領事件、また大阪・八尾市の本部派支部役員による「行政への恐喝」、京都市では職員の不祥事の多発という問題をめぐって、同和事業と部落解放運動を否定するすさまじい攻撃がおこなわれています。
 大阪市では、この問題に関連して市職員など105人の処分を強行するとともに、教職員や保育士などの同和加配の廃止、人権文化センターの統廃合など、これまで続けられてきた同和対策事業の全廃ともいう驚くべき方針を打ち出しました。  京都市でも、「同和対策事業の優先雇用が悪かった」と市長が言い放ち、清掃事業の50%を民営化、職員の50%の削減の方針をあきらかにしました。
 だが、これらの動きは、警察権力と一体化した、行政による部落解放運動への撲滅の攻撃であり、部落大衆の人間として生きる権利を根こそぎ一掃しようとするとんでもない攻撃に他なりません。
 「芦原病院問題」にせよ、「飛鳥会問題」にせよ、あるいは八尾市や京都市の問題にせよ、問題は行政による同和対策事業の恣意的ででたらめな運営にこそあります。ところが、行政は警察やマスコミと一体となって、これを、あたかも部落解放運動そのものが「不正」の温床ででもあるかのようにでっち上げようとしているのです。
 部落解放同盟全国連合会は、部落解放運動の名において、このような差別行政を徹底糾弾するとともに、こうした差別行政に屈し、部落大衆が血と汗をもってたたかいとってきた諸権利を明け渡そうとする部落解放同盟・本部派を乗り越えて、いまこそ、すべての部落大衆が総決起することを呼びかけるものです。

「不正」の責任者はいったい誰か!

 「芦原病院問題」とは、そもそも何か。芦原病院は、健康保険にも入れなかったり、金がないために病気になっても医者にかかれず、命をおびやかされてきた部落大衆が、生きる権利、医療を受ける権利を守るために、医療労働者と力をあわせてつくりあげてきた病院です。大阪市は、部落大衆の医療を受ける権利を保障するという行政の責任において、この病院に助成をしてきたのではなかったか。この行政の責任こそが問題とされなくてはなりません。
 助成金の「不正流用」が問題なら、公立の病院として運営に直接責任をとるように再建すべきではないのか。どんなことがあっても、芦原病院によって命と健康を守ってきた部落大衆が切り捨てられるようなことがあってはならないのです。

行政こそ責任者

 また、「飛鳥会問題」、八尾市の問題によって明らかになったことは暴力団幹部による利権的腐敗であり、利権確保のための地域と部落解放同盟のボス的支配という問題です。大阪市、八尾市は、この暴力団幹部による地域のボス支配を百も承知の上で、それに手を貸していたのです。ボス支配によって部落大衆の行政にたいする要求やたたかいを押しつぶそうとしてきたのです。
 暴力団幹部による不正な利権の真の責任者は、利権を与えて部落のボスを育成し、部落大衆を押さえ込もうとしてきた市行政に他ならないのです。

解放運動の根絶やし攻撃が核心

 大阪市の関市長は、処分発表後の記者会見において、「特別扱い(部落を)したことがかえって差別を助長する結果につながったことを反省していますので、今後は特別扱いしないという理念であらゆる事業に対処していきたいと思います」などと主張しています。この主張は、行政は部落差別の撤廃と、差別によって奪われた部落大衆の人間としての権利に責任をとらなくてはならないとする「同和対策審議会答申」いらいの行政姿勢の全面否定であり、完全な清算です。部落大衆の人間解放への決起によって糾弾された、かつての差別行政への、開き直り的な逆戻りに他なりません。
 同和対策事業を打ち切ることは断じて許されません。なぜなら、部落差別はなんら解消されていないからです。政府(「地域改善対策協議会」)じしんが、就労、結婚をはじめ根強い部落差別の現実を認め、特別対策終了後も同和対策事業とその考え方は継承されなくてはならないとしているのです。
 それだけではありません。同和対策事業は、部落大衆が血と汗をながしてたたかいとったものです。長い間、差別を野放しにしてきた行政を糾弾して、生きる権利の保障として部落大衆がたたかいとったものに他なりません。だからこそ行政が得手勝手に打ち切っていいようなものではないということです。
 しかし、問題は単に同和対策事業の全廃だけにとどまりません。一連の問題をきっかけに、マスコミではすさまじい「同和事業」「解放運動」たたきのキャンペーンがはじまっています。そのなかで、大阪・八尾市の事件をめぐって地域内の保育所民間委託に関連して住民200人で役所にデモをかけたこと自体が「不正な脅迫」という報道がなされました。
 さらには、奨学金の返済がすすんでないとして、「ガンは解同との団交による密約」「団交に応じることが問題」などと言い放っています。もはや、差別糾弾闘争も、要求闘争もいっさいうけつけないという攻撃です。ここにこそ、核心があります。

融和主義に転落した解同本部派を許すな!

 本部派・府連顧問の大賀氏は、部落解放同盟を代表する形でマスコミの種々のインタビューに応じて、「小西氏の行為は解放同盟とは関係がない」「第三期の運動方針が徹底していない」などと責任逃れをする一方で、「被差別部落と聞けば『あの連中か』といったマイナスイメージでとらえられる。これをどう払拭し、プラスイメージに変えていくか。これが部落解放運動だ」とか、「行政は一生懸命やってくれた」などと答えています。
 これらの主張の核心は、差別行政とたたかおうということではなく、逆に、部落大衆にたいして、「もう権利を主張するな」「差別されないように努力しろ」と言っているのです。だが、この主張は、これまで全国水平社や部落解放同盟がその存立をかけて批判し、打倒するためにたたかいぬいてきた融和主義の思想とうりふたつです。部落解放同盟(本部派)は、いったい、いつから融和主義の団体になりさがったのか。
 そもそも、本部派が「飛鳥会問題」を他人事のように主張することなど断じて許されません。かつての「荒本問題」のように、暴力団幹部と癒着して部落のボス支配をたくらみ、行政と癒着して利権をあさり、そのために部落大衆の差別糾弾への自主的な決起を抑圧し、妨害してきたのは本部派・府連そのものではなかったか。
 部落解放同盟全国連合会(全国連)は、このような腐敗した解放同盟の大改革を出発点として誕生しました。そして、差別糾弾をつらぬくことを綱領にして、全国の解放同盟員の手で、本部派にかわる新たな部落解放同盟の全国組織として創立されたのです。
 一連の部落解放運動への攻撃が真につきだしたものは、もう本部派ではだめだということです。部落大衆はいまこそ、全国連のもとに結集するときだということです。

糾弾闘争をつらぬく全国連に結集しよう

 全国連は、今回の攻撃の先取りそのものである寝屋川弾圧を糾弾闘争で打ち破ってきました。村の青年の不当解雇にたいし、全国連寝屋川支部が会社と交渉し、あたりまえの権利を保障させたことを「恐喝」とでっち上げた大阪府警にたいし、全国連は村をあげた大衆的糾弾闘争への決起でうちやぶりました。
 これからの時代、全国連の差別糾弾闘争を基軸とした三大闘争でしかたたかえません。すべての部落のきょうだいは、いまこそ全国連に結集し、たたかいましょう。全国連はこの秋、10・31狭山統一行動を、差別糾弾闘争の天王山としてたたかいます。すべてのきょうだいは、このたたかいに合流してください。
 また、こんにちの部落解放運動にたいする一掃の攻撃は、労働組合にたいする攻撃とじつは二つにしてひとつのものです。この動きは、改憲の動きと連なっています。
 こんなものに絶対に負けてはなりません。この反動攻撃にうち勝つのは、労働者の階級的団結の力、部落大衆の差別とたたかって生きる権利を守る団結の力、そして労働者階級と部落解放運動との連帯の力です。部落のきょうだいは、11・5全国労働者集会(東京・日比谷野音)に参加しましょう。
 すべてのきょうだいたち。いまこそ声をあげよう。いまこそ、全国連とともに部落解放運動(解放同盟)をつくりかえ、生きる権利をかけた大反撃に立ち上がろう。
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