大阪市による同和事業全廃を許すな!

(2006年09月25日)

  差別行政徹底糾弾!

 大阪市(關市長)は、「芦原病院問題」「飛鳥会問題」などに関連して、市職員など105人の処分を強行するとともに、教職員や保育士などの同和加配の廃止、人権文化センターの統廃合など、これまで続けられてきた同和対策事業を全廃するという驚くべき方針を打ち出しました。

 だが、これは、市政の「刷新」などというものではなく、警察権力と一体化した、大阪市行政(關市長)による部落解放運動への撲滅の攻撃であり、部落大衆の人間として生きる権利を根こそぎ一掃しようとするとんでもない攻撃に他なりません。「芦原病院問題」にせよ、「飛鳥会問題」にせよ、問題は大阪市による同和対策事業の恣意的ででたらめな運営にこそあります。ところが、關市長は、警察やマスコミと一体となって、これを、あたかも同和対策事業そのものが「不正」の温床ででもあるかのようにでっち上げ、同和事業を一掃しようとしているのです。
 マスコミによる「同和不正」なるキャンペーンは、「部落は悪の温床」という伝統的で露骨きわまりない部落差別の扇動とうりふたつです。いま、關市長によって行われているのは、行政という公的機関による、とんでもない部落差別の扇動に他なりません。
 だが、冗談ではない。部落解放運動と部落大衆をこれほどまでになめた行為がまかり通るなどと思ったらおお間違いです。部落解放同盟全国連合会は、部落解放運動の名において、このような差別行政を徹底糾弾することを、ここに宣言するものです。關市長は、同和事業全廃方針をただちに撤回し、部落解放運動への差別的な責任転嫁を、すべての部落大衆にたいして謝罪せよ!

「不正」の責任者は誰か!

 「芦原病院問題」とはなにか。
 芦原病院は、部落差別の結果、健康保険にも入れなかったり、金がないために病気になっても医者にかかれず、命をおびやかされてきた部落大衆が、生きる権利、医療を受ける権利を守るために、医療労働者と力をあわせてつくりあげてきた病院です。だからこそ、大阪市は、部落大衆の医療を受ける権利を保障するという行政の責任において、この病院に助成をしてきたのではなかったか。この行政の責任は、部落差別があるかぎり取りつづけなくてはならないのです。助成金の「不正流用」が問題なら、なぜ、公立の病院として運営に直接責任をとるように再建しないのか。關市長がやっているのは、結局のところ、芦原病院によって命と健康を守ってきた部落大衆を切り捨てるということに他ならないのです。
 また、「飛鳥会問題」とはなにか。
 それは、暴力団幹部による利権的腐敗であり、利権確保のための地域と部落解放同盟のボス的支配という問題です。しかし、もっとも重要なことは、大阪市は、この暴力団幹部による地域のボス支配を百も承知の上で、それに手を貸していたということです。そうして、部落大衆の行政にたいする要求やたたかいを押しつぶそうとしてきたのです。大阪市が被害者づらすることなど断じて許せません。「飛鳥会問題」の真の責任者は、利権を与えて部落ボスを育成し、部落大衆を押さえ込もうとしてきた市行政に他ならないのです。

差別行政への逆戻りを許すな!

 關市長は記者会見において、「法期限後も同和事業を続けてきた。特別扱い(部落を)したことがかえって差別を助長する結果につながったことを反省していますので、今後は特別扱いしないという理念であらゆる事業に対処していきたいと思います」などと主張しています。
 この主張は、行政は部落差別の撤廃と、差別によって奪われた部落大衆の権利に責任をとる義務があるとうたった「同和対策審議会答申」いらいの行政姿勢の全面否定であり、完全な清算です。部落大衆の人間解放への決起によって糾弾された、かつての差別行政への、開き直り的な逆戻りに他なりません。
 たしかに、同和対策事業に関する「特別対策事業」は法期限切れによって終了しました。しかし、これによって同和対策事業を打ち切ることは断じて許されません。部落差別はなんら解消されていないからです。政府(「地域改善対策協議会」)じしんが、就労、結婚をはじめ根強い部落差別の現実を認め、特別対策終了後も同和対策事業とその考え方は継承されなくてはならないとしているのです。また、2000年度に大阪市が行った実態調査によっても、この事実を認めているではないか。
 それだけではありません。同和対策事業は、なにも行政が自主的に取り組んだものではなく、長い間部落差別を野放しにし、差別によって生きる権利をいちじるしく奪われてきた部落大衆の現実をほったらかしにしてきた行政を糾弾して、生きる権利の保障として部落大衆がたたかいとったものに他なりません。だからこそ行政の勝手な判断によって打ち切っていいようなものではないということです。

部落解放同盟をつくりかえよう!

 「飛鳥会問題」は、しかし同時に、部落解放運動(解放同盟)のありかたをも鋭く問うています。この問題について、解放同盟の大阪府連顧問の大賀氏は、部落解放同盟を代表する形でマスコミのインタビューに応じて、「小西氏の行為は解放同盟とは関係がない」「第三期の運動方針が徹底していない」などと責任逃れをする一方で、「被差別部落と聞けば『あの連中か』といったマイナスイメージでとらえられる。これをどう払拭し、プラスイメージに変えていくか。これが部落解放運動だ」とか、「行政は一生懸命やってくれた」などと答えています。
 だが、こんなものは部落解放運動の見解などでは、断じてありません。この主張の核心は、大阪市の差別行政とたたかおうということではなく、逆に、「もう権利を主張するな」「たたかうな」ということであり、「差別されないように努力しろ」ということです。
 冗談ではない。なぜ、差別をあおる關市長にたいして「糾弾」と言えないのか。「差別されないようにしよう」なる主張は、これまで部落解放同盟は融和主義だと批判してきたのではなかったか。部落解放同盟(本部派)は、いつから融和主義の団体になりさがったのか。
 そもそも、本部派が「飛鳥会問題」を他人事のように主張することなど断じて許されません。かつての「荒本問題」のように、暴力団幹部と癒着して部落のボス支配をたくらみ、行政と癒着して利権をあさり、そのために部落大衆の差別糾弾への自主的な決起を抑圧し、妨害してきたのは本部派・府連そのものではなかったか。飛鳥支部だけでなく、このような構造は、府下全支部をおおっており、解放同盟の支部員大衆はそのもとで、いったいどれほどで苦しめられてきたことか。
 部落解放同盟全国連合会(全国連)は、このような腐敗した解放同盟の大改革を出発点として誕生しました。そして、こうした腐敗を生み出した原因こそ、差別糾弾という部落解放運動の原点を投げ捨てたことにあることを明らかにし、差別糾弾をつらぬくことを綱領にして、全国の解放同盟員の手で、本部派にかわる新たな部落解放同盟の全国組織として創立されたのです。大阪でも、荒本につづいて、寝屋川、野崎に支部がつくられ、そして本年、八尾市・西郡にも全国連支部がうち立てられました。「飛鳥会問題」が真につきだしたものは、もう本部派ではだめだということ、部落大衆じしんの手で解放同盟を、いまこそ根本的につくりなおさなくてはならないということです。

差別とたたかう団結をよみがえらせよう!

 市労連にたいする一連の攻撃と、こんにちの同和対策にたいする一掃の攻撃は、じつは二つにしてひとつのものです。それは、労働運動と部落解放運動をたたきつぶして、社会福祉を一掃し、市行政を警察と一体になって市民を支配する機関につくりかえようとするものです。市職員をかつての「赤紙」を配って戦争に市民を徴発できるような職員につくりかえようとするものに他なりません。まさに、この動きは、改憲と一体です。
 こんなものに絶対に負けてはなりません。黙っていたら、それこそ隣保館さえなかった時代、差別が当たり前の時代に逆戻りしてしまいます。いま問われているのは、まさに、部落解放運動(解放同盟)であり、労働組合です。この大阪市による反動攻撃にうち勝つのは、法律でも、世論でも、マスコミなどでもありません。それは、労働者の階級的団結の力、部落大衆の差別とたたかう団結の力、そして労働者階級と部落解放運動との連帯の力に他ならないのです。まさに、いま、自主解放の原点こそが問われているのです。
 すべてのきょうだいたちに訴える。いまこそ、全国連とともに部落解放運動(解放同盟)をつくりかえ、生きる権利をかけた大反撃に立ち上がろう。

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