「120人の石川青年」の決起にこたえよう

(2006年05月10日)

 
支部長を先頭に現地調査で権力の差別犯罪を検証していく調査団 (5月3日 狭山市駅近くの白山神社で)
狭山支部から現調報告


 狭山支部から5月3日におこなわれた現地調査の報告がよせられました。「120人の石川青年」のひとりであった支部長が現調にたつことで、狭山にたれこめていた43年の差別の暗雲を部落のきょうだいが払いのける展望がこじあけられています。このたたかいにこたえ、5・21狭山中央闘争に総決起しましょう。


狭山のきょうだいと現調でむすびつく


 5月3日、狭山支部は、首都圏の各支部、共闘の仲間、解放研、全学連の仲間によびかけ、ともに狭山現地調査をおこないました。
 この日は、前日の肌寒いような天気とうってかわって少し汗ばむような天候のもとで、参加者一同、石川さんの悔しさをわがものにするんだと、真剣なおももちで調査にのぞみました。
 今回の現調は、狭山支部としても大きな挑戦でした。これまでの現調の内容を第3次再審闘争に対応したものにグレードアップすべく、案内と問題提起の担当者を「老兵」から「新兵」に引き継ぎました。
 同時に、支部長と支部長の実兄という2人の、実際に石川さんのように差別的取り調べをうけた、また事件当時、石川一雄さんとともに同じチームで野球もやり、ともに青春時代を生きてきた狭山のきょうだいが現調の先頭にたったということです。
 これは狭山現地の歴史の中でもはじめてのことです。狭山事件ゆえの差別のいっそうの強まりや、開発によるすさまじい混住化(割合をみると地区内の住民100人のうち、部落民の人数はわずか2~3人)のなかで、狭山のきょうだいが声をあげることが困難であるという状況の中で、ついに地元のきょうだいが現調の先頭にたったのです。

差別の暗雲ふきとばす決起のはじまり

 その結果、現調にも大きな地殻変動がおこりました。これまで現調団と会話もなかった商店の女性が、支部長の同級生ということで声をかけてきたり、エックス型十字路近くの農家の男性(支部長の同級生)が、笑顔で声をかけてきたりして、そのたびに支部長が「一雄さんの事件のことを調べてんだ」とていねいに説明し歓談するなど、何度も現調の途中で交流がおこなわれました。
 現調後の交流会をもった店でも、居合わせた地元のMさんが、店のお客であるにもかかわらず現調団に給仕をしてくれたり、また支部長の遠縁の人とすれ違ったときには、実兄のJさんが呼び止めて、「いま石川一雄さんのことであつまってんだ」と大声で話し、道行く人が振り返るということもありました。

「石川さんと同じきつい取り調べ」は120人もの部落青年におこなわれた
 第3次のたたかいのカギは、まさにこのような、狭山現地の、「まかり間違えば自分が石川一雄だったかもしれない」という人たちの決起です。狭山支部はこの新しい力で5・21狭山中央闘争に断固として決起します。
 前回の高検への要請行動で、支部長が「自分は石川さんと同じようなきつい取り調べをうけた。自分に関しての証拠をだせ」と追求したところ、担当官は「本人のものなら…」といわざるをえませんでした。
 これまで「プライバシーにかかわる」ということを口実に証拠開示を拒んできた高検の姿勢の一角がくずされつつあります。地元狭山の120人もの取り調べを受けた当時の部落の青年たちの決起をなんとしてもかちとらなくてはなりません。
 昨年3月の最高裁による第2次再審請求棄却決定は、憲法を改悪して戦争体制をつくる、そのために国家権力への部落差別糾弾闘争など絶対に認めない、という国家権力の意志の現れです。そうである以上私たちは絶対に引き下がる訳にはいきません。

部落解放の魂かけ、5・21へ全力決起を!

 そもそも狭山闘争こそ部落解放運動=差別糾弾闘争をめぐる攻防の最大の基軸であり、狭山の再審の貫徹こそ部落解放運動の存亡をかけた絶対的原点なのです。わたしたちは戦争と改憲にむけた狭山闘争解体の攻撃をうちくだくたたかいに総決起しなくてはなりません。
 5・21中央闘争はこのような狭山第3次再審闘争の火蓋をきる歴史的闘争です。5月23日に狭山弁護団は、第3次再審請求を東京高裁に提出するといわれています。これに日本中の耳目をあつめ、狭山再審闘争が、不死鳥のように、不屈に、国家権力徹底糾弾の挑戦状をたたきつけたことを、すべての労働者・人民に知らしめなくてはなりません。
 そしてなによりも私たち自身がこの挑戦状をたたきつけるたたかいとしなくてはなりません。また「どんな仕打ちをされようとも立ち上がって闘いぬくのが真骨頂」という石川一雄さんの血を吐くような訴えに全国連こそが断固としてこたえなくてはなりません。
 石川一雄さんを先頭に、一人一人が石川一雄となり、国家権力の部落差別犯罪を徹底的に暴き糾弾する、その幕開けが5・21狭山中央闘争です。
 狭山支部は、5・3現調にあらわれた新しい力をもって、狭山120青年の差別に対する悔しさ、権力犯罪に対する怒りを一身に背負い、断固として起ちます。

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