狭山第3次再審闘争へ

(2006年03月05日)

  差別への怒りを
5・21狭山中央闘争へ
(15回全国大会・狭山闘争本部アピール)

 3月5日~6日、全国連第15回全国大会が1100名の結集でかちとられ、狭山第3次再審への総決起が宣言されました。狭山闘争本部・小森事務局長のアピールを掲載します。
 「どんな仕打ちをされても鬼神となってたたかいぬく」...昨年3月に最高裁がくだした狭山特別抗告棄却に対する石川一雄さんの戦闘宣言であります。
 全国連は無実の石川一雄さんとどこまでも連帯し、第3次再審闘争をたたかいぬきます。5月21日、5・23狭山闘争を中央総決起闘争としてたたかいぬきます。
 第3次再審請求が5・23に東京高裁にだされます。5月21日の日曜日、東京に総結集し、東京高裁への挑戦状をたたきつけましょう。
 昨年3月16日の棄却はなぜおこなわれたのか? 石川さんが悪いからでしょうか。部落大衆が悪いからでしょうか? はっきりしているのは、狭山闘争が差別糾弾闘争としてたたかわれていない、その一点に原因があります。
 狭山の部落を国家権力が襲撃し、部落を封鎖して120名もの部落青年だけを取り調べ、そのなかから石川一雄さんをイケニエにしました。
 部落民ならやりかねない、部落民は貧乏だから、子どものころから子守奉公をしてきた。だから親の愛情をうけないで育った、法を守ることも知らない...こういって、死刑を宣告したのは国家権力、検察でした。
 この検察の求刑を受けて、浦和地方裁判所は死刑判決を出しました。
 それ以来ずっと有罪を維持してきたのが裁判所です。公正な裁判をお願いしますといって頭を下げている解同本部派では何年たたかっても勝てない。差別糾弾闘争としての狭山闘争に生まれかわらなくてはならないということです。
 ここに狭山闘争の勝利の展望があります。部落民の差別に対する怒り、地域で激発する部落差別への怒りと狭山闘争とを結びつけたとき、高松差別裁判糾弾闘争のようなたたかいに発展させることができます。博多毎日新聞糾弾闘争のような深く激しい、部落民の自己解放闘争へと発展させることができます。


部落差別とむきあい、団結できるたたかいへ

 博多毎日新聞糾弾闘争とは、部落民の遺体を焼いた焼き場で遺体を焼くのはいやだ、部落民のようなケダモノと同じ場所で弔われるのはいやだと、こういう差別記事に対して、部落大衆がたちあがっていったたたかいでした。
 1916年ですから、全国水平社はまだ結成されていません。「差別されてもしかたない」と泣き寝入りしていた部落大衆が、この差別記事に怒り、350人が新聞社におしかけてたたかった。これが糾弾闘争の歴史的な出発点でした。
 これがひとつのきっかけとなって、1922年に全国水平社が結成されました。ずっと泣き寝入りしてきた部落大衆が、堰を切ったように差別糾弾闘争への決起を開始しました。
 全国水平社の結成によって、いままで寝た子を起こすなといったり、融和主義の考えのもとで眠り込んでいた部落大衆が、「わしらの後ろには全国水平社がいる」といってたちあがっていきました。
 全国連は、その役割を今こそ果たさなくてはなりません。このかんとりくんだ意識調査では、8割の人が差別体験があると答えています。
 しかし、その差別とたたかうということには、必ずしもなっていません。たたかい方がわからない。あるいは、個々ばらばらにされていて団結できていないからです。
 狭山闘争と日常的な差別との対決を結びつけ、狭山闘争のようにたたかうことを知ったとき、必ず、差別糾弾闘争の柱がうちたてられていきます。わたしたちはそのように狭山闘争をたたかっていきたいと考えます。
 全国連は不当逮捕43ヵ年糾弾の5・23を5月21日の狭山中央闘争としてたたかいます。首都・東京に総結集されんことを訴えて狭山闘争本部からのアピールとします。

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