部落解放同盟(本部派)傘下のみなさんへ

(2006年02月23日)

 

部落解放同盟全国連合会 第15回大会へのご参加を訴えます
   部落解放同盟全国連合会・書記長 中田 潔

 
 昨年の第14回全国大会


 全国の部落のきょうだいのみなさん、わたしたち全国連のホームページをごらんいただきありがとうございます。わたしたちは、きたる3月5日、兵庫の西宮において第15回の全国大会を開催いたします。ぜひご参加ください。

 みなさんの部落の生活、運動の現状はどうでしょうか。とくに4年前に地域改善対策特別措置法とそれにもとづく事業がうちきられて以降、部落をめぐる状況は大きく変化しているのではないでしょうか。

支部の団結や運動は維持・発展していますか?

 同和対策事業、特措法がうちきられて4年がたち、支部運動がまともに成立していない、取り組めないという状況がかなりの村でおこっているとききます。なぜこのような状況になっているのでしょうか。
 これまで解放同盟の支部の役割とか課題というのは、部落大衆の要求を同和対策事業や同和行政のおよぶ領域のなかで、対応してきたと思います。支部運動の仕事の7-8割は、その範囲での相談の窓口であり、それから事業実施にかかわる行政の仕事の代行ということではなかったでしょうか。
 同和対策事業がなくなってしまったことから、そういう行政-支部-支部大衆という関係が大きく変化しているのではないでしょうか。 また、支部事務所がなんとか残っているところでも、支部員が生活相談に行っても対応する事業がないということで、あきらめてくださいという感じになってしまう。部落の住民の立場で行政にものを言っていくはずの支部が、住民を行政によせつけないためのついたてのような存在になってしまっているのではないでしょうか。
 困り果てて直接行政に相談に行く方も増えてきています。ところがやはり行政も、「もう法律も事業もなくなった」といって対応しようとしない。まったく住民の知らないところで、家賃や事業の打ち切りが決められ、「もう支部には了承いただいてますよ」などと言ってくる。むしろ「もう部落のいうことはきかなくてもいいんだ」とばかりに、せいせいとした感じで追い返そうとしてくる。
 その陰で一部の人たちが行政から残りわずかな事業をほどこされて「いいとこどり」をしている。解放運動がきりひらいてきた地平を食い物にしている。そういう状況が全国でおこっています。
 大阪の寝屋川では、昨年3月に、住宅への入居を求めて交渉に行った人たちに対して、対応した職員が、「私らは部落差別ないと思っている。差別の現実がない。部落差別の言葉がない。そういう認識を持ってもらう必要がない」「部落差別の意味を知らない。何が部落差別なのか」...と言って、対応すら拒否してくるありさまでした。

解放同盟をよりどころとした運動には限界がきている

 こうした法失効以降の国や行政の対応の様変わりと同時に、解放運動はどうなっていったでしょうか? わたしたちは、部落をめぐる今日の厳しい状況は、これまでの解放運動の側、解放同盟の綱領や運動方針にも、問題があると考えます。
 とくに、上杉委員長の時代に、解放同盟の側から「同和事業返上論」というのがでてきました。いわゆる「自立論」です。あの過程は、「どうしても自立できない人について一定の対策が必要」と、それで同和事業返上論を正当化してきた。
 もう一つ同和対策事業返上論の正当化の論理は、いわゆる「一般対策の活用」論です。「部落問題の解決は特別対策であってはならない」ということをたてまえにして、解放同盟は同和事業を返上していきました。「一般行政のなかで部落問題の解決を図る姿勢と具体的対策をつらぬいていくべきだ」と。
 しかし、「一般対策活用」というけれど、今日、「一般対策」そのものが、小泉政権の構造改革のもとで、どんどん縮小されているのが現状です。年金、介護や医療をはじめとした福祉領域はどんどん切り捨てられ、一般対策が充実されるどころか、年々やせ細っている状態にあります。
 だから、実際には大衆の生活実態からうまれてくる要求について、とりあげたくても放置せざるを得ない。支部として、どうして守ってあげていいかわからない...。ひどいところでは、支部まで「もう住民の世話なんかしなくていい」とばかりに、自分たちの生き残りのためだけに支部の看板を利用している。(大阪・寝屋川の例→リンク) 支部が大衆の要求にこたえられない、支部が大衆の生活のよりどころとして、その役割をはたせていないというのが、多くの部落での支部運営の状況ではないでしょうか。

根本には差別糾弾闘争をめぐる解放同盟の屈服が

 
では、この解同の運動の限界性はどこからきているのでしょうか。全国連は、いま解同をめぐっておこっていることの根本は、差別糾弾闘争を堅持するのか、投げ捨てるのかというところであると考えます。
 こんにち、小泉政権の改憲攻撃がしかけられています。改憲問題では、9条をめぐる論議がよくテーマになりますが、改憲とは同時に、基本的人権や平等、福祉などといったわたしたち部落大衆の生存そのものをめぐる問題をつきつけています。基本的人権、平等といった価値観を根拠にしてきた解放運動の根本がゆさぶられているといえます。改憲によって帝国主義的な戦争にむけての国家総動員体制を構築するということは、たんに自衛隊を国軍に規定するにとどまらず、基本的人権、平等など国家の生存のためには制限されて当然という社会体系をつくりあげるということです。
2005年5・23狭山中央闘争
最高裁の狭山第2次再審棄却決定を糾弾する全国連と労働者  ('05年5月)
 実はこういう時代にむかうために、政府は20年をかけて、差別とたたかう運動や組織、団結を解体することに着手してきたのです。同和事業のうちきりもそのためです。同和事業をうちきることで、上述したような状況をつくりだし、大衆の運動離れを生起させ、権利意識をつぶしていく。要求も団結もできないようにしてしまう。
 あるいは1989年のいわゆる「法務省見解」にみられるように、差別糾弾闘争を認めない、むしろ差別した者の「人権」も守られるべきだという論理で、差別糾弾闘争を監視したり弾圧の対象とする。部落解放運動の一番大事な原動力である、差別への怒りや、差別を許さない人間的誇り、その集大成が差別糾弾闘争です。それを徹底的に弾圧する。そういう政治がこの20年ほど進められてきました。
 これに対して解同は、たたかう気概も方針もなく、糾弾闘争を「差別者と本音をぶつけあう場」...などへとどんどんねじ曲げ、法律や行政の許す枠内でしか対応していないのが現状ではないでしょうか。
 こんなことで差別を受けた人間のくやしさ、怒り、悲しみを部落の人たちみんなで共有することなどできません。実際、結婚差別などを受けて支部に相談に行っても、部落のみんなでそのくやしさや怒りを共有しようというとりくみもしない。逆に差別者との仲裁者としてたちまわり、なんとか穏便にことを解決しようとする。形だけの啓発でことを「一件落着」させてしまう。こんなことがあちこちでおこっています。
 先にあげた同和事業の打ち切りも、政府権力からとってみれば、実はそれ自身以上に、労働運動とならんで戦後の階級闘争の重要な一翼をになってきた部落解放運動を解体することを目的として強行されたものです。
 これに対して、解放同盟は、差別糾弾闘争を守り発展させていくというふうにはならなかった。彼らはどう対応していったかというと、今はもう人権擁護法案を積極的に推進するという形で、差別を国に「取り締まって」もらうという運動が軸になっているのではないでしょうか。そして、自分たちは「人権の専門家」ヅラして、人権委員会のワクのなかでなんらかの役割につけてもらおうときゅうきゅうとしている。本当にこれでいいのでしょうか。この点はぜひ解放同盟傘下にいるみなさんに考えてほしいところです。
 政府の側が、部落解放運動そのものの役割、とくに差別糾弾闘争の存在と役割を否定し、解体する攻撃をやってきた。それに屈服したのが今の解放同盟の状況だと、わたしたちはそうみています。

部落の生活と解放運動の現実こそ部落差別のあらわれ

 では、わたしたち全国連はこのきびしい時代にどうたたかおうとしているのか。なによりも、今こそ部落解放運動の本来の目的である部落差別の廃絶ということを、あらためて真正面からとりくむことをよびかけます。
 いま部落差別はなくなったでしょうか? これは非常に大きな問題です。さきほどあげた寝屋川の例にもありますが、こんにち政府も各地の行政も、「部落差別はなくなった」という前提でわたしたちに対応しています。
 一方で解放同盟も基本的には「差別はなくなってきている」という認識です。今日の差別事件へのとりくみは、あくまで一般事業の枠をなんとか一部の人たちにつなぎとめるための「根拠」としておこなわれているのが現実ではないでしょうか。そういう観点だから、差別をうけて支部に相談にいっても、よくても先にあげたような事件解決主義の対応をされる。部落解放運動なのに、部落差別のことをとりくめない。相手にされないということが各地でおこってきています。一方で、この現状をなんとかしなければならないと考えている方も多いことと思います。
 ところで、部落差別は本当になくなったでしょうか。いまわたしたちがおこなっている「部落差別についての意識調査」の回答をみても、10代の若者から80代の高齢者まで、ほぼ9割の人たちが、差別を直接受けたり、身内や友人が部落差別をされたことを見聞きしていることが明らかになっています。とくに今なお多いのは結婚、恋愛をめぐっての差別です。また青少年でも「友人の親があそこの子とはつきあうな」と言ったなど、差別は今なおあります。いえ、むしろ国や行政が部落差別がなくなったといい始めたこの数年で激増しているのが現実ではないですか。
 それから、年々生活がきびしくなってきているという声が圧倒的です。仕事がない、家賃が上がってたいへんだ、奨学金がうちきられて子どもを高校にやれない...こういう厳しい生活の実態を訴える人たちが圧倒的です。決して贅沢な要求などではありません。要求のほとんどが、ほんとうに人が生きていくうえで欠かせない要求ばかりです。
 こうした部落の生活の窮乏化こそ、政府の同和事業うちきりをはじめとした解放運動解体の攻撃がもたらした現実です。「このままでは昔のような部落の惨状にもどってしまう」という危機感をおもちの方は多いのではないでしょうか。

部落差別に真正面からとりくむとき

東大阪市役所での交渉
住宅家賃値上げに対し、行政への大衆的糾弾をたたかう荒本支部 ('05年3月東大阪市役所で)
 多くの人が差別されても泣き寝入りというのが現状です。わたしたちの「部落差別に関する意識調査」の回答でも、差別をうけたり、生活がたいへんなことになってきていても、解放同盟、支部には相談しないというのが多数をしめています。相談相手は身内だけ...という実情です。支部が先のような状況だから、部落の人たちもいやおうなく「自分のことは自分でやるしかない」というふうにされていってしまっているのではないでしょうか。団結して差別とたたかうということがどんどん風化している。これはなぜなのか?
 やはり部落解放運動の心棒である差別糾弾闘争を正しくたたかってこれなかった解放運動の限界があったからだと考えます。差別糾弾闘争が、あくまで同和事業のための補完手段にされてきたところに最大の要因があります。
 法律があったから同和事業ができたのか? そもそも法はなぜできたのか? それは差別のきびしい実態、それにたいする激しい糾弾闘争が法律をつくらせ、事業の実態をつくらせたのです。部落の人たちには法律があろうとなかろうと、人間として生きていく要求がある。その力が、部落差別を許さないという価値観をつくってきたし、部落の生活をささえてきたのです。
 わたしたち全国連は、いまこれまでの解放運動の限界をうちやぶって、部落大衆の生活と権利を守る運動をつくりだすために、部落のきょうだいとともに差別糾弾闘争を土台にした3大闘争(差別糾弾、生活要求、労働者階級との共同闘争)を推進しているところです。法律が切れたからといって、なにからなにまで泣き寝入りなどしていられないではないですか。こんどの全国大会には、そういう思いを持ってたちあがりはじめている部落大衆が全国から結集します。
 このホームページでも紹介してきた各地での差別糾弾闘争、住宅家賃値上げ反対や部落の労働者の仕事を守るたたかい、そして改憲や戦争という問題について部落解放運動は労働者階級とともにいかにたたかっていくのか...。
 わたしたちの大会は、全国各地でそうしたとりくみをしている部落の住民が、それぞれの現実やたたかいを報告しあい、交流と団結をかためる大会です。部落差別や部落の生活、解放運動のあり方などについて、不安や疑問をお持ちのみなさん、ぜひわたしたちの大会をみにきてください。そして部落のきょうだいが誇りをもって生きていける解放運動をいっしょにつくっていきましょう。
 
(大会は、同盟員でなくても見学参加できます。「当日受付」にお申し出ください)
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